前回からの続きです。(-@∀@)
ポジティブ思考を心がけていたアニータさんが癌になった。
アニータさんは、「自分の中の恐れ」が癌を生み出したのだと臨死体験によって理解するのですが、ここが本当に難しいところです。
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『喜びから人生を生きる!』から
私は、自分と他人のためにできる最善のことは、意識的に自分をうきうきした気分にさせて、
幸せを感じることだと固く信じていますが、
"プラス思考"という考えにはあまり賛成ではないと言えば、驚くかもしれません。
すべての生命はつながっているので、自分が上機嫌でいれば、全体にも大きな影響があるのは確かです。
でも、もしネガティブな考えが忍び込んできたら、それを批判せずに受け入れて、
ただ通り過ぎるのを待っているほうがいいように思うのです。
感情は抑圧したり追い出そうとしたりすればするほど、押し返してくるでしょう。
そうではなく、何の判断もせずに、
ただ自分の中を流れるのを許していれば、思考や感情は通り過ぎていくのです。
その結果、正しい道が自然に目の前に開かれ、真の自分でいられるようになるでしょう。
「ネガティブな考えが、人生にネガティブなものを引き寄せる」
という大雑把な説は、必ずしも真実ではありません。
この説のせいで、すでに苦しみを経験している人たちが一層ひどい思いをしているのです。
さらに、自分の考え次第で、もっとネガティブな状況を引き寄せるかもしれないという恐怖感も生み出します。
この考え方をやみくもに主張すれば、つらい時期を過ごしている人たちに、
彼ら自らがその出来事を引き寄せたと思わせてしまうでしょう。
それはまったくの偽りです。
もし不愉快な状況を生み出したのが自分のネガティブな思考だと信じれば、
私たちはびくびくするようになるに違いありません。
けれど、そのような状況は、実際は、思考よりもむしろ感情と関係しているのです。
特に、自分自身についてどう感じているかが大切です。
また、ポジティブなものを引きつけるには、単に陽気でいればいいというのは本当ではありません。
これは強調してもしきれないことですが、自分自身についてどう感じているかが、
人生の状況を決める上で一番大切なことなのです。
つまり、自分自身に正直でいることが、ポジティブでいるよりもずっと重要です。
私は、動揺することが起きた場合、自分がネガティブな気持ちになるのを許しています。
なぜなら、本当の感情を封じ込めるよりも、体験するほうがはるかに良いからです。
それは、自分が感じていることと闘うのではなく、受け入れるということです。
判断せずに、許すという行為は、まさに自分への愛の行為です。
自分に優しくするという行為は、楽天的なふりをしているよりも、
喜びに満ちた人生を創造する上で、ずっと役に立つでしょう。
時折、とても陽気で、活気に満ち、優しい人であるにもかかわらず、
人生が崩壊しそうな人を見かけて、こう思うことがあるかもしれません。
「ほら、ポジティブでいるのは役に立たないんだ」と。
でも問題は、人が心の中で何を考えているか、わからないということです。
私たちは、他人が日々自分に何を話しているか、
あるいは幸せを感じているかどうかなど、見当もつきません。
そして、一番重要なことですが、彼らが自分自身を愛し、
重んじているかどうかというのは、わからないのです。
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ところで、私は
「この病気の人はこういう性格の人が多い」といった考えには同意できません。
遺伝や体質の問題もあるわけで、その病気の人からしたら本当に無礼な話です。同じような性格や気性の人でも、同じ病気になる人とならない人がいるのだから。そんなね、人間を十把一絡げに分類できるものじゃありません。
そう私が思ってると理解した上で聞いてほしいのですが、以前読んだ新聞に「癌患者の性格的傾向」という研究についての記事が載っていました。それによると、癌患者には
「怒りや悲しみを表現せずに自分の中で抑圧する傾向がある」という内容だけは覚えているんです。
「うちのイジワルばーさんが、周囲に毒吐き散らしながら、内臓は丈夫で、しぶとく長生きしてるのはこれか!!(゚Д゚)」と思いましたから(笑)
一方、毎日毎日、ばあさんや娘(私)の不平不満や愚痴を聞いて、いつもニコニコ怒ってる姿など見せたこともないうちの母は、
肺に腫瘍ができてしまいました。母は全くタバコ吸わないんですよ、タバコを吸う父の傍に長年いただけです。
本当に子供の頃から、母が極端な怒りを現したり、人の悪口を言う姿をほとんど見たことがない。でも、うちの母は霊的なものとか宗教は一切信じていないんですね。時々、かる〜い自己啓発本とかに感銘を受ける程度。
これでどういうわけか、
恐ろしくポジティブ思考なんです。
母は長年イジワルな姑(私の祖母)にネチネチといじめられてきたのですが、明るく優しく祖母を世話してきました。祖母の横暴な振る舞いを私が批判すると、それを聞いた母は無理矢理ポジティブ解釈をして祖母をかばう・・・そんな性格の人です。
これまさしく、アニータさんが言うような「とても陽気で、活気で優しい、ポジティブ思考の人」なんですが・・・抑圧された怒りや悲しみが腫瘍の原因だったとしたら?と思うと、なんとも切ないです。
☆☆☆
それからアニータさんは、
「自分自身についてどう感じているかが、人生の状況を決める上で一番大切なこと」といいます。
なんかねぇ・・・結局、潜在意識下で自分のことをどう思っているか?自己評価の高い人間であることも重要な気が。(ナルシストのうちの兄貴が病気一つしないのはこれか!(゚Д゚))その上で自分の感情にも時には正直に・・・ってことかもしれない。
特に、他人への憎しみの感情が
ため込まれていると自分自身にも破壊的な影響を及ぼすと思うのですよね。
前回、「ある人を死ぬほど憎んでいたけど憎しみが消えた」という話したじゃないですか。あれ、うちの兄のことなんですけどね。
昔のブログ読み返してたら、「言霊で憎しみが消えた」ぐらいのトンデモ説を闇に提唱してた自分に呆れました。まったくテキトーなことを・・・・
ねえよ!( ノ゚Д゚)です(笑)思い返してみればこの一件は、言霊を唱えたから憎しみが消えたわけではありません。
自分が相手にされてきたことを倍返しに復讐してやったので、気が済んだだけです(笑)
☆☆☆
もー、家庭内でさんざん暴れましたからね。でも、ちっとも後悔してません。だって私、今じゃ兄に対する憎しみなんて微塵もないから。それどころか今では彼を愛してると言えるくらい。
あのね、人間どれだけのことをやれば憎しみが消えるくらい気が済むかっていうと・・・
「お兄ちゃん、かわいそう・・・私にあんなことされて・・(´;ω;`)ウッ」みたいなね、正直やりすぎたなと相手が可哀想になって、その気の毒な姿に愛おしくなって胸がキュンとするくらいに・・・・
痛めつけてやるのがポイントです。(−_−)
「兄貴には酷い目にあってきた・・・けど、私もあーんなことや、こーんなこともしてやった。ははは、お互い様かー( ´∀`)y」という状態ですが、しかしこの方法はリスクが高すぎてオススメできません。
こんな、
胸キュンするぐらいに相手を痛めつけたら、確実にその悪影響は反ってきますので(笑)・・・顔腫れたし。下手すりゃ殺人事件ですから真似しちゃいけません。
でも、他人への憎しみを微塵も表に出さずにポジティブ思考で抑えこむ人もいるでしょう。それが、じわりじわりと自分を蝕んでいくとしたら・・・どうなんでしょう?
攻撃的なやり方でしたが、私は自分なりに自分を守ったのだと思っています。私の友人に、家族と完全に縁を断ち切ることで自分を守った人もいます。その表現の仕方は家族が違うんだから人それぞれ。
☆☆☆
アニータさんの高尚な叡智についての話題が、私の家族の話で脱線してしまいました。
でも、『喜びから人生を生きる!』を読んだときにね、なんだか禅問答のように難しくて、最初私には理解できなかったんですよ。
「心が体の病気に反映する」のに、「否定的な感情もありのまま」「自分に正直」??
思考のコントロールはどうにかできても、潜在意識下や感情レベルとなると難しい。「一体どーすりゃいいの?」ってなる人もいると思ったので、ちょっとのヒントになればと思ったのです。ならないか(笑)
怒りの放出は短く!すっぱりと!そして尾を引かない・・・!みたいな感じでいけたら、いい気がするんですよ。たぶん。
『喜びから人生を生きる!』は、自分の内面をどのように保ったらよいのかという点で本当に考えさせられる本でした。ぜひ、読んでみてください。
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