せめて自分が主人公の空想を

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    (前回からの続き)

     

     

    その一例として、私の中で長い間、"ある夫婦の子供"という設定で空想し続けてきた小さな女の子がいたんですね。

     

     

     

    女の子の顔はポストカードの少女をモデルにしていて、その空想は、自分の娘とか脳内映画の登場人物・・というものとも違う。とにかく、"よその夫婦” から生まれた女の子の成長を他人の立場で傍観するかのような空想を、なぜか私はずっとしていたんですよ。

     

     

     

    ロリコン男性でも子供好きでもないのに、そんな夢想をする理由なんて一切無いのですが(子供が欲しいと思ったこともないし)、どういうわけか、非物質世界に具現化させてしまうほどの勢いで思い描いていました。

     

     

     

    そしたら不気味なことにさ、、姉が産んだ子供が私の空想の女の子にビックリするほど激似なのです。姉とは似ても似つかない顔立ちなのに、ほぼ同じ顔ってくらいに似ている。

     

     

     

    そしてまさしく私は現実に、この姪っ子を赤ちゃんの頃からよく世話をして、この子が幼稚園へ通い、遊び、日々成長していく過程を他人の目線で傍観することになりました。

     

     

     

    ***

     

     

     

    これ、一人の人間丸ごとなので、こんな大それたものを私が現実に反映させたとは思えません。が、しかーし、自分の今生においてそれが可能となる条件が合致した隙間を狙って現れたかのようでもあり、なんだか悔しい。

     

     

     

    そーいや、私の作っていた脳内映画にしてもそうです。私はこの脳内映画を、映画の制作現場の状況までも「観察者」の視点で思い描いていました。普通ならば自分が女優や映画監督というポジションで登場して妄想する気がするのですが、そうじゃない。観客のように全体を観察するだけで、そこに"私"という主人公は登場しません。

     

     

     

    そしてこれまた私の人生において、女優や俳優たちが台詞合わせや演技の稽古をする姿を仕事上、観察する・・・という日々がありました。別にその仕事を強く望んだわけでもないのに。

     

     

     

    まあ、ちょっと気になる点といえば、このくらいですかね。だから、自分が登場しない仮想現実の空想は本人に何の影響も与えない!とまでは断言できない気もするし、かといってこれが思考のパワーだ!というほどでもない微妙さ。

     

     

     

    一つ言えるのは、何の執着も無く、「叶わなかったらどうしよう」という不安感が全く無く、それでいて夢中になるような空想は、エーテル世界での具現化力が高い。そしてそれが、投影した本人の今生の環境的条件を満たしていた場合には、現実に反映されることもあるのかもしれません。

     

     

    ***

     

     

    教訓:

    どうせ思い描くならば、自分を主人公にした空想をしたほうがいいでしょう。

    傍観者の空想をしていたら、現実もやっぱり傍観者。(´∀` )ハハハ...

     

     

     

     

     


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