脳手術における臨死体験☆パム・レイノルズのケース

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         pamu
        パムさんは上から見た。




    かつて私が「死後の世界」というものが心底信じられなかった頃、心の奥底では、この世界が物質の塊に過ぎないという現実にとてつもない恐怖を感じていたものです。それで、何か信じられるような根拠となるものはないのか??という理由で、本を読みまくっていました。


    中でも、死後世界の可能性を示唆するものとして、臨死体験という現象には引っかかるものを感じたので、調べるようになりました。でも臨死体験の一番の疑念は、「結局は脳の作り出した幻覚で、脳内現象なのではないか?」ということ。


    私は、自分が体外離脱のリアルさを経験してきた上で「体外離脱は脳内現象だ」と判断していただけに、臨死体験に関しても余計そう思えたんですよね。


    で・・・この「臨死体験は脳内現象か否か」という謎を追いかけて、面白くもない学術的な本までも片っ端から集めていました。


    これが不思議なことにね、臨死体験の本というのは読み続けていると、なぜか死を恐れない気持ちになってくるのです。たとえ脳内現象か否かという結論はわからなくても・・。これ似たようなことを、立花隆氏も書いていたのですが、臨死体験者の話をずっと聞いているうちに、


    よくわからんけど、「死ぬ」って良いものなんだな・・(-@∀@)



    みたいな感じで、私は死に憧れすら持つようになりました。いや、肉体的な痛みは嫌ですが。



    ☆☆☆



    まあ、それはさておき・・・・


    「臨死体験は脳内現象か否か?」という論争を語るときの一例として、ある有名な臨死体験を紹介しようと思います。


    それは脳手術の際に起きた臨死体験のケースだからです。


    ミュージシャンのパム・レイノルズという女性が、世界的に著名な脳神経外科医ロバート・スペッツラーによる脳手術の最中、脳幹の反応が一切なくなり脳の全機能が活動を停止した状態で(現代医学では脳死とされる状態)、彼女は臨死体験をしているのです。


    この女性に施された手術は、本人の体温を華氏15・6度まで下げ、心拍と呼吸を停止させ、脳波を平坦にし、頭部から血液を全て抜き出し、患者を事実上「死亡」させた状態で行なう「低体温心停止法」というもの。


    彼女は、手術の様子を語り、人生回顧、トンネル体験、光との遭遇、亡くなった親類との再会など典型的な臨死体験を語っています。


    https://www.youtube.com/watch?v=YO8UVebuA0g
    パム・レイノルズのインタビュー(英語)



    これはマイケル・セイボム著『続 あの世からの帰還-新たなる真実・47名の臨死体験』の第三章で紹介されており、セイボムによると、


    「残念ながら俗受けするほとんどの臨死体験談には、その中で主張される医学的危機状況や、脳波活動、血圧、心調率、その他の生理的指標の裏づけがほとんど、あるいは全く存在しない。その体験談全体が、自己報告のみに基づいていることも少なくないのだ。だが、アトランタ研究では、臨死体験の前後に起こった出来事の医学的記録を、可能な限り入手した。パム・レイノルズの事例で得られた医学的記録は、従来の記録をはるかにしのいでおりこれまでのところ臨死体験を科学的にかいま見た最も完璧なデータになっている。」


    ということだそうです。


    ある程度、手術の経緯がわかる内容を、『続 あの世からの帰還 新たなる真実・47名の臨死体験』から抜粋します。





    -------------------『続 あの世からの帰還 新たなる真実・47名の臨死体験』より



    スペッツラーは、手術を開始すると、まず最初に、剃髪されたパムの頭に注意深く切開線を描き、
    パムの頭皮を、湾曲したメスですばやく切り開いた。
    切開された頭皮が裏返されると、キラキラ光る灰色の頭蓋が現れた。
    手術室勤務の看護婦が、空気圧で作動するマイダス・レックス(頭蓋骨を削るドリル)
    をスペッツラーに手渡した。
    これは、部屋の片隅に置かれた圧搾空気タンクに長い緑色のホースでつながっている。

    真鍮製の"骨のこ"に内臓された、親指大の強力なモーターが回転速度を上げると、
    キーンという大きな音が手術室に広がった。
    骨のこは、パムの頭蓋を大きく切り取りはじめた。
    パムの臨死体験が始まった。パムはそれを、非常に詳しく物語っていく。



    パム・レイノルズの話
    「次に私が覚えているのは、音でした。それは、シャープもフラットもつかないレの音です。
    その音を聞いていると、その音が私を、頭のてっぺんから引っ張り出すような感じがしました。
    その音は、私が体から抜け出せば抜け出すほど、はっきり聞こえるようになりました。
    それは道路を走っている時のような印象を受けました。音の周波数の変化です。

    ・・・・・上から見下ろしている時、手術室でいくつかのことを見ていたのを覚えています。
    一番意識していたのは、それまでの全生涯に浸っていたことだと思います。
    ・・・・私はいわば、スペッツラー先生の肩に座っているような感じでした。
    ふつうの見え方ではありませんでした。
    ふつうにものを見る時よりも明るく見えましたし、ずっと鮮明ではっきりしていました。
    手術室には、私が見てもよくわからないものがたくさんありましたし、ずいぶん大勢の人がいました。

    看護婦さんたちが私の頭を剃る時のやりかたは、すごく変わってると思いました。
    全部剃ってしまうと思っていたんですが、そうじゃなかったんです。
    その鋸(ノコギリ)の、電動ハブラシのような音がいやでした。
    それにはくぼみがひとつありました。
    その上のほう、手で持つところとつながったあたりに溝がありました。

    いや、くぼみはありませんでした。・・・・それからその鋸は歯が交換できたんですが、
    そういう替歯は、スパナを入れるケースのようなものに入っていました。
    鋸が回り出す音が聞こえました。先生方がそれを私の頭に当てるところは見ませんでしたが、
    何かを切っている音は聞こえたと思います。
    かなり高い音でうなっていたのが、急にバアーーーーというような音になったんです。」



    スペッツラーが、パムの頭蓋から切り取った骨を外すと、脳の一番外側の膜が現れた。・・・硬膜だ。
    繊維質の、この硬い覆いを、特殊な硬膜鋏で開く。
    滅菌した布で覆われた手術顕微鏡を回転させ、所定の位置につける。
    頭蓋内の手術は、それ以降、スペッツラーが口にくわえたレバーで操作する、この顕微鏡の下で行うのだ。
    スペッツラーがパムの頭を手術している間、女性の心臓外科医が、パムの右鼠径部の動脈と静脈を探し出した。
    ところが、大量の血液を心肺バイパス装置とやりとりするには、この血管では細すぎることが判明した。
    そこで、左の動脈と静脈を使うための準備が整えられた。
    パムは手術のこの段階について、次のように回想している。


    パム・レイノルズの話
    「誰かが、私の静脈と動脈がとっても細いというようなことを言っていました。
    女の人の声だったので、マレー先生だと思いますが、はっきりとはわかりません。
    マレー先生は心臓病の専門医です。
    そのことをマレー先生にお話しておくべきだった、と思ったのを覚えています。
    ・・・・人工心肺のことも覚えています。人工呼吸器はいやでした。
    ・・・・どれがどれだか、すぐにはわからない道具や機械がたくさんあったのを覚えてます。」



    (中略)
    午前11時、パムの深部体温は25度(摂氏で14度弱)低下していた。
    心臓モニターの凡帳面なビープ音が、心臓の機能不全を知らせる規則的な警報音にとって代わられた。
    不規則でめちゃくちゃな心室細動のパターンが、心臓モニターのスクリーンに連続的に現れた。
    5分後、死にかけたパムの心臓は、まだ電気的けいれんを起こしていたが、
    それも、塩化カリウムの大量注入(静脈注射)によって消えた。
    完全に心停止を起こしたのだ。
    パムの心臓が止まった時、脳波も平坦になり、脳は電気的に完全に沈黙した。


    両耳に挿入されたイヤホンがカチッという音を発しても、
    電位図モニターが描き出す棘波はどんどん小さくなった。
    それと並行して、脳幹の機能も低下した。
    20分後、パムの深部体温は、さらに13度(摂氏で7度強)低下し、
    死んだも同然の華氏60度にまで下がった。
    両耳内のイヤホンが発する音に対しては、もはや反応が起こらないまでになった。
    脳の全機能が活動を停止したのだ。

    それから、ちょうど11時25分に、パムは、手術室では、ほとんど前例のない、
    このうえなく冒険的で注目すべき処置に委ねられた。
    手術台の頭部が起こされ、心肺バイパス装置のスイッチが切られ、車からオイルを抜くように、
    パムの体から血液が抜き取られたのだ。その頃、パムの臨死体験も進行していた。



    パム・レイノルズの話
    「引っ張られるような感じがありましたが、意志に反してということではありません。
    自分で行きたかったので、自発的に行ったんです。
    いろいろな喩えを使って説明することもできます。
    たとえば、竜巻で吸い上げられたのに、回転したわけじゃないので、めまいも起こさないという、
    オズの魔法使いみたいな感じだったとか。

    気持ちがすごく集中して、どこかに向かっているんです。
    その時の感じは、本当に高速のエレベーターで上にあがるみたいでした。
    それから、感覚はありましたが、肉体的な物理的感覚ではありませんでした。
    トンネルのようでしたが、トンネルではありませんでした。

    そのトンネルに入ったばかりの頃、祖母が私を呼んでいるのがわかりました。
    でも、それは耳で聞こえたわけではありません。
    ・・・・耳で聞くよりもはっきり聞こえたんです。
    私は自分の耳よりも、その感覚のほうを信じます。
    祖母がそばに来てほしがってる感じがしたので、その竪穴を恐れずに進みました。暗い穴でした。
    その一番先に、こういうとっても小さい光の点があって、それが、どんどんどんどん大きくなりました。

    その光は信じられないほど明るくて、電球の真ん中に座っているような感じでした。
    あんまり明るいので、両手を目の前にかざしてみました。
    手が見えるかと思ったんですが、見えませんでした。
    でも、そこに手があるのはわかりました。
    触覚でわかったわけではありません。

    これも、説明がすごく難しいんですが、両手がそこにあるのが、とにかくわかったんです。
    光の中に、人が何人かいるのがわかってくると・・・・・・・・
    全員が光に包まれていて、その人たち自身が光でできていて、
    まわり中に光があふれていたんですが・・・・
    形がはっきりしてきて、誰なのかわかるようになりました。

    ひとりは祖母だということがわかりました。それが本物だったのか、
    自分の考えが投影されたものだったのかはわかりませんが、
    いつでも、どこにいたとしても、祖母ならその感じでわかります。

    振り返ってみると、私が会った全員が、
    生前で一番輝いていたと私が思っている姿と、完全に一致しました。
    知ってる人がたくさんいました。伯父のジーンもいました。
    大大伯母のマギーもいました。マギーおばさんとは、ほんとに仲がよかったんです。
    父方では祖父がいました。・・・・
    この人たちは、特に私を心配してくれて、親身になって世話をやいてくれたんです。

    この人たちはこれ以上進ませてくれませんでした。・・・・・
    すっかり光の中に入ってしまったら、私の体に何か起こると言うんです。
    そういう気持ちが伝わってきたわけなんです。それが一番近い表現ですね。
    この人たちは私が話すようには話さなかったからです。

    この私を体に戻すことが、この人たちにはできないようでした。
    私があんまり遠くまで来てしまったので、体ともう一度結びつけるのが難しかったんでしょう。
    ですから、私をどこかに行かせることもしませんでしたし、何かさせることもしませんでした。
    私は光の中に入ってしまいたかったんですが、戻りたい気持ちもありました。
    子どもたちを育てなければいけなかったからです。」



    パムの体から血液が抜き取られたため、動脈瘤は、空気が抜けた風船のようにしぼんでしまった。
    スペッツラーは、動脈瘤の脳底動脈につながるくびれた部分をクリップで留め、
    血液の入っていない瘤を切除した。
    それから、心肺バイパス装置にスイッチが入れられ、温められた血液がパムの体に再び注入され始めた。
    温かい血液が戻り始めるとすぐに、パムの両耳のイヤホンから発せられる音に反応して、
    最初の生命兆候を知らせる輝点が現れた。
    パムの高次脳中枢の活動が再開されたことを裏づける脳波も、脳波計のスクリーンに再び現れた。



    パム・レイノルズの話
    「それからこの人たち(今は亡き親族)は、私に養分を与えてくれました。
    食べ物を口からというのではなく、何か別のものを私に与えてくれたんです。
    ふつうの言葉では、何か光るものと表現する以外ありません。
    それは明らかに物質ではなかったので、その表現がおかしいのはわかっていますが、
    その体験の中では、体が丈夫になって、何でもできるような感じがしたわけです。」



    それから、午後12時に、深刻な問題が起こった。
    最初はおとなしかった心臓モニターが、心室細動の発生を知らせる、
    めちゃくちゃな電気活動を示し始めたのだ。
    血液をもう一度温めることで、この致死性の心調律を矯正しようとしたが、その試みは成功しなかった。
    このままの状態が続くと、パムは数分のうちに手術台で死亡してしまう。

    心臓外科医は、すぐさま、除細動器のパドルをパムの胸に二つ当て、
    心臓に50ジュールの電気ショックをかけた。反応はなかった。
    そのため、100ジュールを充電して、もう一度、ショックを与えた。
    この2回目の電気ショックで、正常な洞調律(心臓が規則的に拍動するリズム)が回復したことを示す、
    ビービービーという懐かしい発信音が聞こえ、心臓外科チームから安堵のため息が洩れた。
    このチームは、パムの胸を開いて心臓を蘇生させる準備までしていたのだ。
    それから、パムは、臨死体験から「戻り」始めた。



    パム・レイノルズの話
    「祖母は、トンネルを通って私を帰らせたわけではありませんでした。
    まして私を送ってきたり、帰りなさいと言ったりしたわけでもありません。
    私をただ見上げただけだったんです。
    私は祖母と一緒に行きたかったんですが、祖母がそう思っていないことが伝わってきました。
    伯父が送ってあげようと言ってくれました。

    トンネルの端から私を送りだしてくれたのは、この伯父なんです。
    何もかもがすばらしかった。私は帰りたくありませんでした。
    ところが、その時、トンネルの入り口に戻ると、それが・・・・私の体が見えたんです。
    私はその中に入りたくありませんでした。
    事故に遭った列車の残骸みたいに、恐ろしい感じがしました。

    私の体は前と同じように見えました。死んでいたんです。
    シーツがかかっていたと思います。
    それで恐ろしくなったので、二度と見たくありませんでした。
    プールに飛び込むみたいなものだという考えが、私に伝わってきました。
    だいじょうぶ、プールに飛び込むのと同じことなんだからって。

    戻りたくはありませんでしたが、時間が迫っていたか何かだったんだと思います。
    伯父が私を押したんです。
    はっきりした不快感がありましたが、同時に自分の体に引っ張られる力も感じました。
    体から引っ張られ、それと同時にトンネルから押し出されたんです。
    氷水のプールに飛び込むみたいな感じでした。・・・・・・・・・本当にこたえました。」



    血液を温め直してから、もう一度注入するため、
    午後12時32分に心肺バイパス装置のスイッチが切られた。
    この時、パムの体温は、生命を維持できる程度には上がっていたが、
    まだかなり低い華氏89・6度(摂氏32度)だった。
    続いて、パムの体からチューブ類や機械類が外され、手術創が閉じられた。
    バックに流れる音楽がロックを奏で始めた時、スペッツラーの若い助手たちが手術の後処理を引き継いだ。
    その時に流れていた音楽を、パムは聞き逃さなかった。



    パム・レイノルズの話
    「私が体に戻った時、「ホテル・カルフォルニア」が流れていました。
    その時の歌詞は、「チェックアウトならいつでもできる。でも、逃げ出すことは絶対できない。」
    という最後の部分でした。後で、ブラウン先生に、そんな曲をかけるなんて、
    とんでもなく無神経だと言ったんですが、
    逆に、もっと眠らせといたほうがよかったと言われてしまいました。(笑い)
    意識が戻った時、私はまだ人工呼吸器をつけていました。」




    〜以下は、セイボムの所見〜
    1970年代に臨死体験の最初の研究を始めてから、
    私は、これは、臨死体験であって、死後体験ではないと一貫して主張していた。
    『「あの世」からの帰還』の中で私は、
    人が死に近づけば近づくほど、後に臨死体験を報告する比率が高くなることに気づいていた。
    つまり、臨死の危機状態にある時に入院した患者や、意識不明の状態が比較的長かった患者、
    医学的な蘇生処置が必要だった患者は、病院外で起こった出来事を自力で乗り越えた意識不明の状態が比較的短く、
    蘇生処置を処置を必要としなかった患者よりも、臨死体験を報告する比率がはるかに高かったのだ。

    死に近かったということは、”それがどれほど近かったとしても”、死んだこととは大違いだった。
    しかし、パムの物語が、そんな私の確信に激しい揺さぶりをかけた。
    1994年11月にパムの母親の自宅で、その手術報告に初めて目を通した時、私は容易には信じられなかった。
    人間の生命兆候をすべて消し去り、体温を華氏60度にまで下げ、
    (脳から)血液を抜き取った場合、健全な精神を持つ者なら、それでもその人は生きていると考えるものだろうか。

    私は”本当に”信じられなかった。
    そこで、バーロウ神経学研究所に電話し、そこに保管されている、スペッツラーの報告書のコピーを、
    脳神経外科麻酔医と心臓外科医による手術戦略のコピーと一緒に、ファックスで送ってもらった。
    大変驚いたことに、パムの物語のうち、手術の詳細はまちがいないことが確認された。
    パムの手術を担当した外科医たちは、いったん死んだパムを生き返らせたのだろうか。
    死の古典的定義から言えば、その外科医たちは、まさにそうしたことになる。(中略)

    一方、学問的な世界の論争とは無縁の実用的な目的では、三通りの検査によって脳死を判定するのがふつうだ。
    ひとつは、標準的な脳波計で脳波活動を測定することだ。
    ”平坦”脳波は、大脳皮質・・・大脳の外殻が機能していないことを示す。
    もうひとつは、パムの手術で両耳に挿入されたイヤホンから出る音に
    誘発された反応と似た聴覚誘発電位を通じて、脳幹の生存可能性を探ることだ。

    この電位が認められなければ、脳幹が機能していないことになる。
    三番目には、脳への血流が確認されない場合、それが脳機能全体が失われたことを示す目印となる。
    しかし、”静止”の間、パムの脳は、右の三通りの臨床検査では、「死」と判定されたはずだ。
    脳波は出ていなかったし、脳幹の反応も脳内の血流もなかったからだ。
    興味深いことに、このような状態にある間、
    パムは、アトランタ研究の対象者のうちで、”最も深い”臨死体験をしていた。

    グレイソンのNDE尺度では、臨死体験者の平均得点は15点だった。
    これは、アトランタ研究の13・3点に近い。ところが、
    パムのNDEは特出していて、27点という驚異的な深さだったのだ。 

    (中略)
    スペッツラー医師がパムの頭蓋を開くのに使ったという骨のこについて、
    パムが説明するのを聞いた時、私は開いた口がふさがらなくなってしまった。
    「刃が交換」できる「電動歯ブラシ」だって?そんなばかな。
    私は面接を録音したテープをしまい込み、1年以上、このテープを聞かなかった。

    1996年3月、私はパムのテープを書き起こし、その話の裏づけとなる証拠を探し始めた。
    テキサス州フォートワースにあるマイダス・レックス社に電話して、
    スペッツラー医師が使った骨のこの写真が掲載された医学生用の使用説明書を送ってもらった。
    それを見た私は、その骨のこを、「刃が交換できる「電動歯ブラシ」で、
    それを格納する「スパナを入れるケース」がついている、としたパムの描写が正確だったことに衝撃を受けた。





    -------------------




    ちなみに、そのマイダス・レックス社の、医療用ドリルがこれ↓
     

        nonenoko


    ああ、私もこれとそっくりなドイツ製の電動歯ブラシ持ってるよ(笑)(´∀` )



     














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