霊界通信〜『タイタニック~沈没から始まった永遠の旅』(その2)

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    遅すぎですが、前回からの続きです。(;-@∀@)



    -------------霊界通信〜『タイタニック〜沈没から始まった永遠の旅』より抜粋



    wiriamu
    ウィリアム・ステッド氏(霊界在住)



    最初に述べておきたいのは、これから述べる体験が、
    タイタニック号が沈没してからどれくらいたってからのことなのか、感覚的によくわからないということです。
    時間的には連続していて断絶はないように思えるのですが、どうもその辺がはっきりしません。

    さて、私には二人の案内役が付き添ってくれました。
    地上時代の友人と、もう一人は実の父親でした。
    父は私と生活を共にし、援助と案内の役をしてくれました。
    何だか私には外国へ来て親しい仲間に出会ったという感じがする程度で、死後の再開という感じはしませんでした。

    それがその時の正直な心境です。
    つい今しがた体験したばかりの忌まわしいシーンは、もう遠い過去へ押しやられていました。
    死の真相がわかってしまうと、そういう体験の怖さもどこかへ消えてしまいました。
    つい昨晩のことなのに、まるで五十年も前のことのように思えました。

    お蔭でこの新しい土地での楽しさが、地上に残した者との別れの悲しさによって
    半減されるということにならずに済みました。
    タイタニック号の犠牲者が全員そうだとは申しません。
    少なからざる人々が不幸な状態に置かれたことでしょう。

    が、それも、二つの世界の関係について何の知識も持たないからにほかなりません。
    そういう人たちは、二つの世界の間で一体どういうことが起こりうるのかを知らなかったわけです。
    それを知っていた私のような者にとっては、旅行先に到着して便りを書く前に、
    "ちょっとそこいらを見物してくるか"といった気楽な気分でした。悲しい気分など、まったくありませんでした。
    (中略)

    父と私、それに友人の三人で、さっそく見物に出かけました。
    その時ふと気づいたのですが、私は地上時代のお気に入りの普段着を身に着けておりました。
    一体どうやって地上から持ち運んだのだろうかと、不思議でなりませんでした。
    そう言えば父も、地上で私が見慣れていた服装をしておりました。
    何もかもが、そして見かける全ての人が、ごく自然――地上とそっくりなのです。


    出かけてしばらくして一服すると、自然、話が地上と霊界の知己のこと――
    私にとってじゃ私より先に他界した知り合いたち、父たちにとっては後に残した人たち――
    のその後の消息のことになりました。
    互いに情報を交換しあい、とくに私の場合は、この世界を支配している摂理についての教えを受けました。
    もう一つ私にとって印象ぶかかったのは、その土地全体が青味がかっていることでした。
    英国は何色かと問われると返答に困りますが、強いていえば、緑がかった灰色とでも表現できましょうか・・・・


    が、この土地には歴然として色彩があります。
    文句なしにブルーなのです。
    明るい色合いの、濃いブルーです。
    住民や住居や樹木までがブルーという意味ではありませんが、全体から発せられる印象が"ブルーの国"なのです。

    そのことを父に訊ねてみました。
    (余談ですが、父は地上にいた時よりも動作がきびきびしていて、若返って見えます。
    父子というよりは兄弟のような感じすらしました)
    すると父は、この界層を包む光の中にブルーの光線が圧倒的に多く含まれているためにそう見えるのであって、
    ここは精神的な回復を得るのに絶好の土地なのだ、という説明をしました。

    "まさか!"と思われる方が多いことでしょう。
    しかし、よく考えてみられるとよろしい。
    地上にも、このあたりはかくかくしかじかの病気によろしいと言われる土地があるではありませんか。


    地上界と死後の世界の違いを、あまり大げさに考えてはなりません。
    わずかに一歩だけ上の段階、向上と進化を重ねていくのです。
    人間がそうであれば、その人間が生活する環境もそうです。
    死の直後の世界は、地上界を申し分のないものに仕上げたものにすぎないと考えてください。

    さて、ブルーアイランドを見物しているわれわれ三人は、
    そこに生活する他の人々と比べて、どちらかというと珍しいタイプに属していたと言ってよいでしょう。
    そこにはありとあらゆる状態に置かれた、ありとあらゆる肌色をした、
    ありとあらゆる人種の、大小さまざまな人間がいました。
    その人たちが自由闊達に動き回っているのです。


    ただし、ここで生活している人たちは、自分のことを第一に考えた行動をしています。
    自我を確立することに専念しているのです。
    地上では自分中心主義はいけないことですが、ここではそうでないといけないのです。
    本人にとっても、全体にとっても、そうでないといけないのです。
    そうしないと進歩、というよりは精神的回復が望めないからです。

    そうやって各自が自分の精神的確立に専念することによって、結果的にブルーアイランド全体に平穏が行きわたることになります。
    他人のことは一切かまわないのです。
    自分のためだけを考えて、他の存在をほとんど意識していないのです。



    〜翻訳者・近藤千雄氏の注釈一部〜 

    このブルーアイランドは「中間境」ともいうべき界層で、ここを卒業して「本土」というべき界層に入っていくと、
    地上とは比較にならない活発な活動の世界が待っているというのが、信頼のおける霊界通信が一致して述べているところである。




    思念の力

    地上の人間にとっては、死後の存続の確実な証拠というと、生前の姿をまとって出てきてくれることのようです。
    今こうして私がお届けしているような精神的ないし主観的な通信は、たとえどんなに説得力のあるものであっても、
    「証拠」としては受け入れ難いようです。
    そこで、ほとんどの人が物質化現象にばかり関心がいって、本当はもっと真実味があり、
    外部の要素―霊媒の意識・列席者の猜疑心や偏見等、による影響を受けることが少ない思念による交霊を軽視してしまいがちです。


    が、実はこの思念伝達という手段は、その可能性を信じている人が想像しているよりも、はるかに実感があるものなのです。
    生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、
    電波とまったく同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届きます。



    たとえば、地上のAという人物がBという他界した人物のことを念じたとします。
    するとBは瞬時にその念を感じ取ります。
    こちらへ来ると、感覚が地上時代よりもはるかに鋭敏になっておりますから、
    そちらから送られた思念は電流ならぬ思念流となって、直接的に感知され、そこに親密な連絡関係が出来上がります。

    こちらへ来て間もないころは何も出来ませんが、こちらの事情に慣れてくると、
    BはAにその回答のようなものを印象づけることが出来るようになります。
    AはそれをBからのものとは、まず思わないでしょう。
    たぶん、自分の考えか、一種の妄想くらいにしか思わないでしょう。
    が、そういう形で届けられている情報は、実際は大変な量にのぼっています。

    霊の実在を信じている人だけに限りません。
    誰でも、どこにいても、意念を集中して地上時代に親交のあった人のことを念じると、
    必ずその霊に通じて、その場へやってきてくれます。



    人間の方は気づかないかも知れませんが、ちゃんと側に来てくれております。
    この事実から地上の皆さんにご忠告申し上げたいのは、そういう具合に人間が心で念じたことは全て相手に通じておりますから、
    想念の持ち方に気をつけてほしいということです。
    想念にもいろいろあります。その全てがこちらへ届き、善きにつけ悪しきにつけ影響を及ぼします。
    霊の方はその全ての影響をもろに受けるわけではありません。
    意図的に逃れることは出来ますが、逃れることが出来ない者がいます。

    それは他でもない、その想念を発した地上の本人です。
    想念は必ず本人に戻ってくるものだからです。

    今私は、全ての想念が届くと申しましたが、これには但し書きが必要です。
    心をよぎった思いの全てが届くわけではありません。
    とくに強く念じた思い、片時も頭から離れないもの、という意味です。

    摂理の観点からいえば、心に宿したことは大きいことも小さいことも、それなりの反応はあるはずです。
    が、影響力という点からいえば、たとえ怨みに思うことがあったとしても、
    それが抑え難い大きなものに増幅しない限り、大して重大な影響は及ぼしません。

    ですから、私が"全ての想念"という時は、思いやりの念にしろ邪悪なものにしろ、
    一心に集中している場合のことを言っているのであって、日常のあれやこれやの"よなしごと"のことではありません。
    が、そういう前提があるにしても、心に宿した想念が何らかの形で他に影響を及ぼし、
    最終的には自分に戻ってくるという話は、容易に信じ難い人が多いことでしょう。しかし、事実なのです。
    実は皆さんは、同じ影響を人間同士でも受け合っているのです。


    たとえば、相手がひどく落ち込んでいる場合とか、逆にうれしいことがあって興奮ぎみである場合には、
    あなたも同じ気分に引き込まれるはずです。
    それは、言うまでもなく精神的波動のせいであり、沈んだ波動と高揚した波動がその人から出ているわけです。

    強さという点では、両者は同じです。しかし、その作用の仕方が異なります。
    強烈な想念の作用も同じと思ってください。
    それを向けられた当事者は、そうとは意識しないかも知れません。
    が、無意識のうちに、大なり小なり、その影響を受けているばかりでなく、大切なのは、
    想念そのものは、それを発した人の精神に強く印象づけられていて、表面上の意識では忘れていても、
    事実上、末永く残って影響を及ぼしていることです。


    死んで、このブルーアイランドに来ると、その全記録を点検させられます。
    ガウンを着た裁判官がするのではありません。
    自分自身の霊的自我が行うのです。
    霊的自我はそうした思念的体験を細大もらさず鮮明に思い出すものです。

    そして、その思念の質に応じて、無念に思ったり、うれしく思ったり、絶望的になったり、満足したりするのです。
    その内容次第で、もう一度地上へ戻って無分別な心と行為が引き起こした罪を、大きい小さいにかかわらず、
    全てを償いたいという気持ちになるのも、その時です。

    私が皆さんに、地上生活において精神を整え、悪感情を抑制するようにとご忠告申し上げるのは、そのためです。
    地上生活ではそれがいちばん肝要であり、意義ある人生を送るための最高の叡智なのです。
    厄介なことに人間は、地上にいる間はそのことを悟ってくれません。
    そう言い聞かされて、内心ではそうに違いないと思いつつも、それが現実の生活に生かされていません。

    皆さんの一人ひとりが発電所であると思ってください。
    他人にかける迷惑、善意の行為、死後の懺悔のタネとなる行い・・・どれもこれも自分自身から出ています。
    そうした行為と想念のすべてが総合されて、死後に置かれる環境をこしらえつつあるのです。
    寸分の誤差もありません。高等な思念(良心)に忠実に従ったか、低級な悪念に流されたか、肉体的欲望に負けたか、
    そうしたものが総合されて、自然の摂理が判決を下すのです。

    地上時代のあなたは、肉体と精神と霊(自我)の三つの要素から成ります。
    死はそのうちの肉体を滅ぼしますから、霊界では精神と霊だけとなります。
    ですから、地上時代から精神を主体にした生活を心がけておくことが大切なわけです。

    むろん、常に選択の自由は残されていますから、やりたいことを好き放題やって、借りは死後に清算するよ、
    とおっしゃるなら、それはそれで結構です。
    今までどおりの生活をお続けになるがよろしい。
    しかし、いったんこちらへ来たら、もうそれ以上は待ってくれません。
    このブルーアイランドできれいに清算しなくてはなりません。

    神は地球を、人間が楽しめる魅力ある環境にしてくださいました。
    が、それは、人間をわざと悪の道に誘っておいて、後で懲らしめようという魂胆からではありません。
    いかなる人間でも等しく満喫できるように、豊富な美と、それを味わう機能を与えてくださっています。
    精神が肉体をコントロールしているかぎりは、美は美であり続けます。
    肉体の欲望が先行し、精神が堕落しはじめると、厄介なことが待ちうけるようになります。
    苦しみと懺悔が山積みにされて待っております。

    精神の働きはこちらへ来ても同じです。
    同じ原理に従って働きます。
    思考力は肉体のあるなしには関係ありません。

    ですから、そのうち地上に残した愛する人たちとの精神的なつながりをもち、
    そして大きく影響を及ぼすようになるのは、さして難しいことではありません。
    もっとも、地上の当人はそうとは気づかないことが多いのですが・・・

    この事実のもつ意味をよくお考えいただきたい。
    他界した家族や知人・友人があなたのもとを訪れることがあるということ、
    思念こそ実質的な影響をもっているということ、

    霊との関係はもとより、同じ地上の人間との関係でも、それをうまく結びつけるのも、ぶち壊してしまうのも、呼び寄せるのも、
    あるいは追い払ってしまうのも、この思念の力であるということです。

    霊界と地上の二つの世界を結ぶのは、思念です。
    が、それには規律と鍛錬が必要です。頭にひらめいたものが全て霊の世界から届けられたと思ってはいけませんが、
    同時に、スポーツマンが身体を鍛えるように精神を鍛えれば、いざという時には、
    霊界からも地上界からも、大いなる叡智と援助を祈り求め、そして受けることができるのです。




    -------------



    というのがウィリアム・ステッド氏が霊界から報告している通信の一部です。 詳しくは、ぜひ『タイタニック〜沈没から始まった永遠の旅』を読んでみてください。



    それで、今回この「思念の力」の項目をあえて抜粋したのは、

    「死者に向けた自分の思いは届く」ということと、人生における思考の重要性について述べられているからです。


    この「心のあり方が人生に影響を及ぼす」という法則ですが、私はこれが事実だと認められるまでに約20年近い年月がかかりました。まったく、飲み込み悪いなんてもんじゃありません。(´Д`;)10代の頃は引き寄せの法則系の本ばかり読んでいたにも関わらず、です。


    そりゃ、「行動の原因は心」という程度にはわかっていました。でも、人間は生まれついた条件や境遇こそが一番運命を決定づけるのだと考えていたし(ある意味事実)、他人に対する悪感情やネガティブな思考が自分にも他者にも一々影響を及ぼすなんてことは気にもしていなかったのです。


    「行動」「行為」こそが残るものであって、心の中なんて誰に知られるわけでも迷惑をかけるわけでもないのだから、どうだっていいのだと。私は心の美しさというものの価値をかなり過小評価する人間でした。


    それが、体外離脱を繰り返し、非物質世界の体験を重ねていくうちに、人は生きている間に、心をできる限り美しく磨いて、思考のコントロール術を身に着けておいたほうがいい、ということを確信するようになりました。


    なんというかね、あちらはとにかく内面の美しさ(波動の高さ)と、揺るぎない意念の力がモノをいう世界なんですよね。


    この法則は死後世界だろうと物質世界だろうと、同様に働いているようなのです。ただ、物質世界ではその影響は、とてもとても見えにくい。例えば、「引き寄せの法則」を実践して疲れて諦める人が続出するのも無理はないほどの見えにくさです。


    まあ、私に偉そうなことは何も言えないんですけどね。ただ、これからの時代は「思念のあり方」が更に重要な世界になっていくようなので、ぜひ心に留めてもらえたらと思います。(´∀` )

     
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