霊界通信〜『タイタニック~沈没から始まった永遠の旅』

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    こんな古くさい霊界通信の本を今さら紹介してもなあ〜と思っていましたが、考えを改めました。だって中学生も読んでくれてるかもしれないしね。それから最近、この『タイタニック〜沈没から始まった永遠の旅』を再読したら、東日本大震災の死者たちとその遺族のことがどうしても頭をよぎってしまったのです。


    「タイタニック」といっても、ジェームズ・キャメロン監督のカップルが船でセックスする映画のことじゃありません。いや、正確には船の中にあった車の中でセックスする映画でした。どっちでもいいか。


    え〜と、要するにタイタニック号で死んだ父親からの霊界通信をまとめた本なのですが、私は最初読んだとき、登場人物の名前がいろいろ出てくるもんだから、何がなんだかよくわかりませんでした。だって表紙にはコナン・ドイルの名前もあるし何が一体どう関わってるのかと。(よく読んだら単に序文を書いてただけだった。本に箔付けるためにドイルの名前を出したんだな)。


    皆さんにそんなことがないように、ざっくりと説明しておきます。


    ☆☆☆


    その昔もむかし、1800年代中期〜1900初期とかそんなくらいの昔。ウィリアム・ステッドという英国のジャーナリストのおっちゃんがおりました。このウィリアム氏、立派な編集者でしたが、同時に自動書記能力のある人で、友人からの霊界通信を記録して出版するなど当時のスピリチュアリズムでけっこう草分け的存在でした。(たぶん)


    しかし、ウィリアム氏は、あの有名なタイタニック号に乗船していて、亡くなってしまったのです。

    タイタニック号沈没事故後、自分が死んだことに気づいたウィリアム氏。死後の世界は生前学んできたスピリチュアリズムの通りの世界だとわかって大喜び。



    死んだら、やっぱり思った通りだったおーーー!!(´∀`* )



    この喜びを誰かに伝えたい!大ハッスルで英国のウッドマンという自動書記能力のある人物を通して、自分の妻や娘のエステル・ステッドにメッセージを送ろうとします。


    というわけで、この本の著者はエステル・ステッドとなっていますが、霊界からメッセージを伝えているのはタイタニック号で死んだ父のウィリアム・ステッド氏です。その自動書記をしたのがウッドマン氏ね。つまり、コナン・ドイルなんも関係なし(笑)


    表紙には、「コナン・ドイル/序、エステル・ステッド/編、近藤千雄/訳」となっているので「著者誰や」と思っていたらこんな理由でした。



    エステル
    こちらが娘のエステルで、右の顔は出たがりのウィリアムさんの霊。 



    私はね、自動書記とか霊界通信って恐ろしく胡散臭い感じがして、ずっと受けつけなかったんです。でも、現在、世に氾濫している「チャネリングで本書きました」とかいうやつより、よっぽどいいかもと思う時があります。このウッドマン氏の自動書記もそのうちの一つ。


    そもそも、娘のエステルは、どうしてウッドマン氏の自動書記を自分の父であると確信したのでしょうか?本には、エステルの名前でこんなことが書いてありました。(以下、古き良き時代のスピリチュアリズムっぽく明朝体にしてみる。(-@∀@)




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    esuterusumoru
    エステルさんは語る。


    父とウッドマン氏との関係について、興味ぶかいと同時に、大切でもある事実をここで述べておきます。
    父は生前、ウッドマン氏とは一度しか会ったことがありません。

    それも父がタイタニック号で英国を発つ少し前に私がウッドマン氏を紹介した時で、
    その時も、二言か三言、言葉を交わしただけでした。
    したがってウッドマン氏は、父のことを個人的には何も知りませんし、
    ましてや、父の著作や評論活動に関与したことは、まるでありません。

    にもかかわらず、ウッドマン氏が受け取ったメッセージの文体や用語が父のそれにそっくりなのです。
    さらに面白いのは、文章を綴るクセまで父にそっくりだということです。
    ウッドマン氏は自動書記の最中は目を閉じており、ハンカチで押さえることもよくありました。
    部屋は薄暗くしてあり、すぐ側で見ている私にもその文章が読めないことがありましたが、
    用紙から文字がはみ出してしまうことは絶対にありませんでした。

    明らかに父は、自分で書いたものをもう一度読み返しているようで、
    "i" の点や "t"の横棒をきちんと書き直しておりました。
    これは  父の生前からのクセで、いったん書き終えた記事をもう一度読み返しながら、
    "i" の点や"t"の横棒を書き直していたものです。

    そのクセを知っているのは、私を含むごくわずかな人に限られており、
    ウッドマン氏が知っている可能性はまったくありませんでした。
    そうした要領で受け取った長文のメッセージのうち二つが、すでにパンフレットになって公表されています。




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    ところで、「死んだら自分の思った通りだったおーー」って、せっかく喜んでるウィリアム霊にケチつけるわけじゃないんですけどね。


    死後世界は信念体系領域
    (囚われの領域)といいましてね、生前自分が信じていた死後世界観に合致した世界に移行してしまうという概念があるのでございます。基本、似たような信念を持つ同レベルの人間が住む世界に行ってしまうのですね。


    泥棒は泥棒の世界へ、強姦魔は強姦魔の世界へ・・。ヘミシンク創始者のロバート・モンローが体外離脱体験で発見した信念体系領域の世界観は有名です。


    なので、善良なキリスト教原理主義者が死ねば、「お花畑のつまらない天国」に移行してしまい、「やっぱり聖書に書いてある通りの場所だったおー!!」ってなるのです。でも、相変わらず
    信者同士で「異端だ」「罪だ」と裁きあう天国・・。昔、カトリック信者向けの霊界通信みたいな本を読みましたが、あれは囚われ領域にある「カトリック信徒の煉獄や天国」にいる霊なのではないかと思うのですよ。


    あと、タイトル忘れましたが死んだ妻と交信したという本があって、その亡妻は「生まれ変わりなんかありません。そんな人はここで見たことありませんから。あれは悲惨な境遇に生まれた気の毒な人たちを慰めるために作りあげたものです。」とか言い放ってました。


    奥さん、あんた一体どちらの天国にお住まいで?・・・ということなんです。
    そもそも、なぜ「悲惨な境遇に生まれる人がいる」のか、あの世にいる妻は教えてくれません。だって自分も知らないから。生前自分の宗教の教義に疑問を持たなかった人間は死んだ後でも疑問を持たないようです。



    私が中学生くらいの頃、霊界通信や霊界来訪の本を読んだとき、どれも言ってることがまるで違うものだから、「霊界通信あてにならねー」って信じられなかったのを覚えています。そんな風に思う人がいたら、心の片隅にでも覚えておいてほしいと思う概念が、「信念体系の領域」。


    もしも信念体系領域からの霊界通信だったとしたら・・・例えは悪いですが、砂漠に住む砂漠以外の世界があるなんて全く知らない人間がいるとして、「地球というのは見渡す限り砂しかないところです」って宇宙人にドヤ顔で説明してるみたいな感じ。



    話が脱線してしまいました。さて、それでウィリアム霊は一体どんなことを言っているのでしょうか?



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     wiriamu
    霊界在住のウィリアム・ステッド氏


    地上時代にスピリチュアリズムとの出会いによって驚くと同時に感動したのと同じように、
    私は、今度こちらへ来てみて、地上時代に得た霊的知識が重要な点において百パーセント正確であることを知って、驚き、かつ感動しました。
    そうと知った時の満足はまた格別でした。
    学んでいた通りなので、驚きと喜びを同時に感じたものでした。

    私が地上を去って霊界入りする時の様子については、ここではあまり述べたくありません。
    すでに、いろんな場所で何度も述べております。
    死の瞬間は、当然のことながら、大変な混乱状態となりました。
    が、それが治まってからは、死後の後遺症のようなものは、二度と体験しておりません。
    が、その死の瞬間のことは述べる気にはなれません。

    何よりも私が驚いたのは、あの混乱状態の中にありながら、他の溺死者の霊を私が救出する側の一人であったことです。
    私自身も本当は大変な状態にあったはずなのに、他の霊に救いの手を差しのべることができたという、
    その絶妙な転換は、率直に言って、まったくの驚きでした。

    その時の事情が事情でしたから、なぜだろう?何のために?といったことを考える余裕はありませんでした。
    そんな疑問が顔をのぞかせたのは、少し後のことです。
     落ち着く暇もなく、私をさらに驚かせたのは、とっくの昔に他界したはずの知人・友人が私を迎えてくれたことです。
    死んだことに気づく最初の原因となったのはそのことでした。そうと知って、どきっとしました。

     次の瞬間、私は、自分で自分を点検しておりました。
    一瞬のうろたえはありましたが、それはホンの一瞬のことです。
    すぐに落ち着きを取り戻すと、死後の様子が地上で学んでいた通りであることを知って、何ともいえない嬉しい気持ちになりました。
    ジャーナリストの癖で、一瞬、今ここに電話があれば!と、どんなに思ったことでしょう。
    その日の夕刊に特集記事を送ってやりたい気分でした。

    以上が、他界直後の私の意識的反応です。それからその反動ともいうべき変化が生じました。
    茫然自失の心境になり、やがて地上の我が家のことが気になりはじめました。
    その時点では、タイタニック号沈没のニュースはまだ入っていなかったはずです。

    ニュースを聞いたら家族の者はどう思うだろうか。
    その時の私の心境は、自分はこうして無事生き続けているのに、
    そのことを知らせてやるための電話が故障して使いものにならないという、じれったさでいっぱいの状態に似ていました。
    そのとき私は沈没の現場に来ておりました。
    他界後のことを長々と述べてきましたが、時間的にはまだ何分も経っていなかったのです。
    地球のすぐ近くにいましたから、その現場のシーンがありありと見えるのです。

    沈没していく船体、ボートで逃げる船客―――そのシーンが私を自然と行動に移らせたのです。
    救ってあげなくては!そう思った次の瞬間には、私は茫然自失の状態から覚めて、
    水没して肉体から離れていく人たちを手引きする役をしておりました。

    自分でも何がなんだかさっぱり分からないのですが、私は必死になって手引きして、
    大きな乗り物とおぼしきものに案内してあげました。
    やがてすべてが終了しました。
    まるで得体の知れない乗り物が出発するのを待っている感じでした。
    言わば、悲劇が完了するのを待っていたようなものです。

    ボートで逃れた者はもちろん生きて救われました。が、溺死した者も相変わらず生きているのです。

    そこから妙なことが起こりました。その得体の知れない乗り物----というよりは、われわれが落ち着いた場所全体が、
    いずことも知れぬ方向へゆっくりと移動を始めたのです。
    (中略)
    事故はほんの数分の出来事でした。あっという間に大変な数(1500余名)の乗客が海に投げ出されて溺死し、
    波間に漂っておりました。が、その死体から抜け出された霊が次々と宙空へと引き上げられていったのです。

    生きているのです。中にはすこぶる元気なのもいました。
    死んだことに気づきながらも、貴重品が惜しくて手に取ろうとするのに、どうしても掴めなくて、かんしゃくを起こしている者もいました。
    地上で大切にしていたものを失いたくなくて必死になっているのでした。


    もちろん、タイタニック号が氷山と激突したシーンはあまりいいものではありませんでしたが、
    否応なしに肉体から救い出されて戸惑う霊たちの気の毒なシーンは、その比ではありませんでした。
    胸がしめつけられる思いのする、見るにしのびない光景でした。

    その霊たちが全て救出されて一つの場所に集められ、用意万端が整ったところで、
    新しい土地(ブルーアイランド)へ向けて、その場全体が動き出したのです。

    奇妙といえば、こんな奇妙な旅も初めてでした。
    上空へ向けて垂直に、物凄いスピードで上昇していくのです。
    まるで巨大なプラットホームの上にいる感じでした。
    それが強力な力な力とスピードで引き上げられていくのですが、少しも不安な気持ちがしないのです。
    まったく安定しているのです。

    その旅がどのくらいかかったか、又、地球からどれくらいの距離まで飛んだのかは分かりません。
    が、到着した時の気分の素敵だったこと!
    うっとおしい空模様の国から、明るく澄み切った空の国へ来たみたいでした。
    全てが明るく、全てが美しいのです。

    近づきつつある時からその美しさを垣間見ることができましたので、霊的理解力の鋭い人は、
    たぶん急遽した者が連れて行かれる国なのだろうと言っておりました。



    神経的にまいっている新参者が、精神的なバランスを取り戻すのに適した場所なのです。
    いよいよ到着するころまでには、みんな一種の自信のようなものを抱くようになっておりました。
    環境のすべてに実体があること、しっくりとした現実感があること。
    今しがたまで生活していた地上の環境と少しも変わらないことを知ったからです。
    違うのは、全てが地上とは比較にならないくらい明るく美しいことでした。

    しかも、それぞれに、かつて地上で友人だった者、親戚だった者が出迎えてくれました。
    そして、そこでタイタニック号の犠牲者は別れ別れになり、
    各自、霊界での生活体験の長い霊に付き添われて、それぞれの道を歩みはじめたのでした。




    〜翻訳者・近藤千雄氏の注釈一部〜

    他界直後の体験、すなわち死後の目覚めの様子を綴った霊界通信を数多く翻訳してきた私も、
    これほど劇的な内容のものは初めてである。
    死に方が異なれば死後の目覚めも異なった形を取るのは当然であるが、
    大惨事でおびただしい数の犠牲者が出た場合は、地上でも救出活動が大々的に行われるように、
    霊界においても"見えざる力"によって大規模な救出活動が行われることが、これでよくわかる。




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    このタイタニック号の犠牲者たちが辿りついた「ブルーアイランド」なんですけどね。いわゆる「天国」とされるような領域ではないようです。突然死の衝撃で混乱している霊たちを一時的に受け入れる空港的な場所というか。



    では、ブルーアイランドに到着してからどんな生活が待ち受けていたのでしょうか?つづきはまた次回。(・ω・)ノ











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    霊界通信〜『タイタニック~沈没から始まった永遠の旅』(その2)

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      遅すぎですが、前回からの続きです。(;-@∀@)



      -------------霊界通信〜『タイタニック〜沈没から始まった永遠の旅』より抜粋



      wiriamu
      ウィリアム・ステッド氏(霊界在住)



      最初に述べておきたいのは、これから述べる体験が、
      タイタニック号が沈没してからどれくらいたってからのことなのか、感覚的によくわからないということです。
      時間的には連続していて断絶はないように思えるのですが、どうもその辺がはっきりしません。

      さて、私には二人の案内役が付き添ってくれました。
      地上時代の友人と、もう一人は実の父親でした。
      父は私と生活を共にし、援助と案内の役をしてくれました。
      何だか私には外国へ来て親しい仲間に出会ったという感じがする程度で、死後の再開という感じはしませんでした。

      それがその時の正直な心境です。
      つい今しがた体験したばかりの忌まわしいシーンは、もう遠い過去へ押しやられていました。
      死の真相がわかってしまうと、そういう体験の怖さもどこかへ消えてしまいました。
      つい昨晩のことなのに、まるで五十年も前のことのように思えました。

      お蔭でこの新しい土地での楽しさが、地上に残した者との別れの悲しさによって
      半減されるということにならずに済みました。
      タイタニック号の犠牲者が全員そうだとは申しません。
      少なからざる人々が不幸な状態に置かれたことでしょう。

      が、それも、二つの世界の関係について何の知識も持たないからにほかなりません。
      そういう人たちは、二つの世界の間で一体どういうことが起こりうるのかを知らなかったわけです。
      それを知っていた私のような者にとっては、旅行先に到着して便りを書く前に、
      "ちょっとそこいらを見物してくるか"といった気楽な気分でした。悲しい気分など、まったくありませんでした。
      (中略)

      父と私、それに友人の三人で、さっそく見物に出かけました。
      その時ふと気づいたのですが、私は地上時代のお気に入りの普段着を身に着けておりました。
      一体どうやって地上から持ち運んだのだろうかと、不思議でなりませんでした。
      そう言えば父も、地上で私が見慣れていた服装をしておりました。
      何もかもが、そして見かける全ての人が、ごく自然――地上とそっくりなのです。


      出かけてしばらくして一服すると、自然、話が地上と霊界の知己のこと――
      私にとってじゃ私より先に他界した知り合いたち、父たちにとっては後に残した人たち――
      のその後の消息のことになりました。
      互いに情報を交換しあい、とくに私の場合は、この世界を支配している摂理についての教えを受けました。
      もう一つ私にとって印象ぶかかったのは、その土地全体が青味がかっていることでした。
      英国は何色かと問われると返答に困りますが、強いていえば、緑がかった灰色とでも表現できましょうか・・・・


      が、この土地には歴然として色彩があります。
      文句なしにブルーなのです。
      明るい色合いの、濃いブルーです。
      住民や住居や樹木までがブルーという意味ではありませんが、全体から発せられる印象が"ブルーの国"なのです。

      そのことを父に訊ねてみました。
      (余談ですが、父は地上にいた時よりも動作がきびきびしていて、若返って見えます。
      父子というよりは兄弟のような感じすらしました)
      すると父は、この界層を包む光の中にブルーの光線が圧倒的に多く含まれているためにそう見えるのであって、
      ここは精神的な回復を得るのに絶好の土地なのだ、という説明をしました。

      "まさか!"と思われる方が多いことでしょう。
      しかし、よく考えてみられるとよろしい。
      地上にも、このあたりはかくかくしかじかの病気によろしいと言われる土地があるではありませんか。


      地上界と死後の世界の違いを、あまり大げさに考えてはなりません。
      わずかに一歩だけ上の段階、向上と進化を重ねていくのです。
      人間がそうであれば、その人間が生活する環境もそうです。
      死の直後の世界は、地上界を申し分のないものに仕上げたものにすぎないと考えてください。

      さて、ブルーアイランドを見物しているわれわれ三人は、
      そこに生活する他の人々と比べて、どちらかというと珍しいタイプに属していたと言ってよいでしょう。
      そこにはありとあらゆる状態に置かれた、ありとあらゆる肌色をした、
      ありとあらゆる人種の、大小さまざまな人間がいました。
      その人たちが自由闊達に動き回っているのです。


      ただし、ここで生活している人たちは、自分のことを第一に考えた行動をしています。
      自我を確立することに専念しているのです。
      地上では自分中心主義はいけないことですが、ここではそうでないといけないのです。
      本人にとっても、全体にとっても、そうでないといけないのです。
      そうしないと進歩、というよりは精神的回復が望めないからです。

      そうやって各自が自分の精神的確立に専念することによって、結果的にブルーアイランド全体に平穏が行きわたることになります。
      他人のことは一切かまわないのです。
      自分のためだけを考えて、他の存在をほとんど意識していないのです。



      〜翻訳者・近藤千雄氏の注釈一部〜 

      このブルーアイランドは「中間境」ともいうべき界層で、ここを卒業して「本土」というべき界層に入っていくと、
      地上とは比較にならない活発な活動の世界が待っているというのが、信頼のおける霊界通信が一致して述べているところである。




      思念の力

      地上の人間にとっては、死後の存続の確実な証拠というと、生前の姿をまとって出てきてくれることのようです。
      今こうして私がお届けしているような精神的ないし主観的な通信は、たとえどんなに説得力のあるものであっても、
      「証拠」としては受け入れ難いようです。
      そこで、ほとんどの人が物質化現象にばかり関心がいって、本当はもっと真実味があり、
      外部の要素―霊媒の意識・列席者の猜疑心や偏見等、による影響を受けることが少ない思念による交霊を軽視してしまいがちです。


      が、実はこの思念伝達という手段は、その可能性を信じている人が想像しているよりも、はるかに実感があるものなのです。
      生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、
      電波とまったく同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届きます。



      たとえば、地上のAという人物がBという他界した人物のことを念じたとします。
      するとBは瞬時にその念を感じ取ります。
      こちらへ来ると、感覚が地上時代よりもはるかに鋭敏になっておりますから、
      そちらから送られた思念は電流ならぬ思念流となって、直接的に感知され、そこに親密な連絡関係が出来上がります。

      こちらへ来て間もないころは何も出来ませんが、こちらの事情に慣れてくると、
      BはAにその回答のようなものを印象づけることが出来るようになります。
      AはそれをBからのものとは、まず思わないでしょう。
      たぶん、自分の考えか、一種の妄想くらいにしか思わないでしょう。
      が、そういう形で届けられている情報は、実際は大変な量にのぼっています。

      霊の実在を信じている人だけに限りません。
      誰でも、どこにいても、意念を集中して地上時代に親交のあった人のことを念じると、
      必ずその霊に通じて、その場へやってきてくれます。



      人間の方は気づかないかも知れませんが、ちゃんと側に来てくれております。
      この事実から地上の皆さんにご忠告申し上げたいのは、そういう具合に人間が心で念じたことは全て相手に通じておりますから、
      想念の持ち方に気をつけてほしいということです。
      想念にもいろいろあります。その全てがこちらへ届き、善きにつけ悪しきにつけ影響を及ぼします。
      霊の方はその全ての影響をもろに受けるわけではありません。
      意図的に逃れることは出来ますが、逃れることが出来ない者がいます。

      それは他でもない、その想念を発した地上の本人です。
      想念は必ず本人に戻ってくるものだからです。

      今私は、全ての想念が届くと申しましたが、これには但し書きが必要です。
      心をよぎった思いの全てが届くわけではありません。
      とくに強く念じた思い、片時も頭から離れないもの、という意味です。

      摂理の観点からいえば、心に宿したことは大きいことも小さいことも、それなりの反応はあるはずです。
      が、影響力という点からいえば、たとえ怨みに思うことがあったとしても、
      それが抑え難い大きなものに増幅しない限り、大して重大な影響は及ぼしません。

      ですから、私が"全ての想念"という時は、思いやりの念にしろ邪悪なものにしろ、
      一心に集中している場合のことを言っているのであって、日常のあれやこれやの"よなしごと"のことではありません。
      が、そういう前提があるにしても、心に宿した想念が何らかの形で他に影響を及ぼし、
      最終的には自分に戻ってくるという話は、容易に信じ難い人が多いことでしょう。しかし、事実なのです。
      実は皆さんは、同じ影響を人間同士でも受け合っているのです。


      たとえば、相手がひどく落ち込んでいる場合とか、逆にうれしいことがあって興奮ぎみである場合には、
      あなたも同じ気分に引き込まれるはずです。
      それは、言うまでもなく精神的波動のせいであり、沈んだ波動と高揚した波動がその人から出ているわけです。

      強さという点では、両者は同じです。しかし、その作用の仕方が異なります。
      強烈な想念の作用も同じと思ってください。
      それを向けられた当事者は、そうとは意識しないかも知れません。
      が、無意識のうちに、大なり小なり、その影響を受けているばかりでなく、大切なのは、
      想念そのものは、それを発した人の精神に強く印象づけられていて、表面上の意識では忘れていても、
      事実上、末永く残って影響を及ぼしていることです。


      死んで、このブルーアイランドに来ると、その全記録を点検させられます。
      ガウンを着た裁判官がするのではありません。
      自分自身の霊的自我が行うのです。
      霊的自我はそうした思念的体験を細大もらさず鮮明に思い出すものです。

      そして、その思念の質に応じて、無念に思ったり、うれしく思ったり、絶望的になったり、満足したりするのです。
      その内容次第で、もう一度地上へ戻って無分別な心と行為が引き起こした罪を、大きい小さいにかかわらず、
      全てを償いたいという気持ちになるのも、その時です。

      私が皆さんに、地上生活において精神を整え、悪感情を抑制するようにとご忠告申し上げるのは、そのためです。
      地上生活ではそれがいちばん肝要であり、意義ある人生を送るための最高の叡智なのです。
      厄介なことに人間は、地上にいる間はそのことを悟ってくれません。
      そう言い聞かされて、内心ではそうに違いないと思いつつも、それが現実の生活に生かされていません。

      皆さんの一人ひとりが発電所であると思ってください。
      他人にかける迷惑、善意の行為、死後の懺悔のタネとなる行い・・・どれもこれも自分自身から出ています。
      そうした行為と想念のすべてが総合されて、死後に置かれる環境をこしらえつつあるのです。
      寸分の誤差もありません。高等な思念(良心)に忠実に従ったか、低級な悪念に流されたか、肉体的欲望に負けたか、
      そうしたものが総合されて、自然の摂理が判決を下すのです。

      地上時代のあなたは、肉体と精神と霊(自我)の三つの要素から成ります。
      死はそのうちの肉体を滅ぼしますから、霊界では精神と霊だけとなります。
      ですから、地上時代から精神を主体にした生活を心がけておくことが大切なわけです。

      むろん、常に選択の自由は残されていますから、やりたいことを好き放題やって、借りは死後に清算するよ、
      とおっしゃるなら、それはそれで結構です。
      今までどおりの生活をお続けになるがよろしい。
      しかし、いったんこちらへ来たら、もうそれ以上は待ってくれません。
      このブルーアイランドできれいに清算しなくてはなりません。

      神は地球を、人間が楽しめる魅力ある環境にしてくださいました。
      が、それは、人間をわざと悪の道に誘っておいて、後で懲らしめようという魂胆からではありません。
      いかなる人間でも等しく満喫できるように、豊富な美と、それを味わう機能を与えてくださっています。
      精神が肉体をコントロールしているかぎりは、美は美であり続けます。
      肉体の欲望が先行し、精神が堕落しはじめると、厄介なことが待ちうけるようになります。
      苦しみと懺悔が山積みにされて待っております。

      精神の働きはこちらへ来ても同じです。
      同じ原理に従って働きます。
      思考力は肉体のあるなしには関係ありません。

      ですから、そのうち地上に残した愛する人たちとの精神的なつながりをもち、
      そして大きく影響を及ぼすようになるのは、さして難しいことではありません。
      もっとも、地上の当人はそうとは気づかないことが多いのですが・・・

      この事実のもつ意味をよくお考えいただきたい。
      他界した家族や知人・友人があなたのもとを訪れることがあるということ、
      思念こそ実質的な影響をもっているということ、

      霊との関係はもとより、同じ地上の人間との関係でも、それをうまく結びつけるのも、ぶち壊してしまうのも、呼び寄せるのも、
      あるいは追い払ってしまうのも、この思念の力であるということです。

      霊界と地上の二つの世界を結ぶのは、思念です。
      が、それには規律と鍛錬が必要です。頭にひらめいたものが全て霊の世界から届けられたと思ってはいけませんが、
      同時に、スポーツマンが身体を鍛えるように精神を鍛えれば、いざという時には、
      霊界からも地上界からも、大いなる叡智と援助を祈り求め、そして受けることができるのです。




      -------------



      というのがウィリアム・ステッド氏が霊界から報告している通信の一部です。 詳しくは、ぜひ『タイタニック〜沈没から始まった永遠の旅』を読んでみてください。



      それで、今回この「思念の力」の項目をあえて抜粋したのは、

      「死者に向けた自分の思いは届く」ということと、人生における思考の重要性について述べられているからです。


      この「心のあり方が人生に影響を及ぼす」という法則ですが、私はこれが事実だと認められるまでに約20年近い年月がかかりました。まったく、飲み込み悪いなんてもんじゃありません。(´Д`;)10代の頃は引き寄せの法則系の本ばかり読んでいたにも関わらず、です。


      そりゃ、「行動の原因は心」という程度にはわかっていました。でも、人間は生まれついた条件や境遇こそが一番運命を決定づけるのだと考えていたし(ある意味事実)、他人に対する悪感情やネガティブな思考が自分にも他者にも一々影響を及ぼすなんてことは気にもしていなかったのです。


      「行動」「行為」こそが残るものであって、心の中なんて誰に知られるわけでも迷惑をかけるわけでもないのだから、どうだっていいのだと。私は心の美しさというものの価値をかなり過小評価する人間でした。


      それが、体外離脱を繰り返し、非物質世界の体験を重ねていくうちに、人は生きている間に、心をできる限り美しく磨いて、思考のコントロール術を身に着けておいたほうがいい、ということを確信するようになりました。


      なんというかね、あちらはとにかく内面の美しさ(波動の高さ)と、揺るぎない意念の力がモノをいう世界なんですよね。


      この法則は死後世界だろうと物質世界だろうと、同様に働いているようなのです。ただ、物質世界ではその影響は、とてもとても見えにくい。例えば、「引き寄せの法則」を実践して疲れて諦める人が続出するのも無理はないほどの見えにくさです。


      まあ、私に偉そうなことは何も言えないんですけどね。ただ、これからの時代は「思念のあり方」が更に重要な世界になっていくようなので、ぜひ心に留めてもらえたらと思います。(´∀` )

       
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      死後世界の謎は深まるばかり

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        「体外離脱や明晰夢で遊ぶにあたって注意するべきこと」の記事で、偉そうなことを書いてしまったので、言っておきたいことがあります。(・ω・;)



        今の時点で私は、「死後世界はこういうところ!」みたいな結論を出しているわけじゃないんです。


        90%くらいは確信している死後世界観はありますが、でも、自分の信じていたことがいつ覆されるかなんて、わかったもんじゃありません。


        「ああ、そうか・・・3次元という現実のベールの向こうにはこういう色んな領域の世界があったんだ」ということだけは言えるのですが、自分が接触した存在からの情報や、行き来している世界そのものが、本当は何を意味してるかなんて、実際はあてにならないと思っています。


        もしかしたら私は信念体系領域にある素敵な場所を「フォーカス27」の世界だと誤解してるのかもしれないし、単に私が辿りつけないだけで、ニルヴァーナ(涅槃)といえるような天上界があるのかもしれません。


        体外離脱で色んな世界を見れば見るほど、わからなくなってくるんですよ。



        私がフォーカス27だと思っている世界の波動は、例えるならシルクのようにキメ細やかな感じで、緑に輝き、斬新で魅力的な建築物のある素敵なところでした。そこに存在する施設などのことを考えると、まさしくフォーカス27そのものなんです。



        でも、本当にここが地球上で人が死んでから最終的に辿りつく「死後世界」なのか??と言われるとわからない。



        ヘミシンクの世界観を信じているから、そういう世界に繋がっているだけで、もっと上、もっと別の世界があるかもしれない。


        ☆☆☆☆



        以前、サイババに傾倒していたことがあったのですが、インドのアシュラムで会ったある日本女性にこんなことを言われました。「あなたのような若い人が、この真理に辿り着けたことが羨ましい・・」ってね。多くの信者たちが、サイババの教えを最終的な真理だと思っているようでした。



        ヘミシンクのあるグループにいたときにも、似たようなことを言われました。「ええ?!そんな頃からヘミシンクをしていたの??そんなに早くあの世に真実にめぐり会えて羨ましい・・」



        私は何かに傾倒すると追及するタチなので、傍目から見ると信者としか思えない状態になることがあります。そして、何らかのグループに深く関わった時、そのグループにはいつも共通する空気感があって、「この教えが最終回答、それに気づけた私たちは特別」みたいなちょっとした選民意識がありました。



        私はそれが好きじゃないんですよね。だって、真実はわかったものじゃないと思ってるから。更なる「どんでん返し」があるかもしれないじゃないですか。何にしても。



        というわけで、今後も真理を追って探索を続けます。(・ω・)ノ























         

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