体脱を脳内現象とは思わなくなったけど・・・

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    私が体外離脱を脳内現象だと思わなくなったのは、体脱後に向こうの世界で教えられた情報と現実との符合に驚いたり、ヘミシンクでいうところの共同探索で、スピ友人と同じものを見て同じような体験をする・・ということを頻繁に繰り返すようになったので、いつの間にか、「体外離脱=脳内現象」の信念は消えるようになったわけなのですが〜・・・

     

     

     

    そもそもの最初のきっかけとして、自分の体の中には、霊体のような不可視の体があるということを100%確信したことが大きかったんですね。(だからこのブログの名称は正しくは、元・疑い深い人による精神世界日誌でござい)

     

     

     

    もしも誰もが、昼間の覚醒した時に腕や足の霊体を自由に取り出せて、霊体を取り出した部分の肉体は一切動かせない状態になってしまうとしたら、人は不可視の体の存在を脳みそや臓器のように認識できると思うのです。

     

     

     

    この話は以前にも書いて繰り返しになっちゃうのですけど、私に起きたことはこういうことです。まあ、決して自由自在に取り出せるわけじゃないのだけど、体脱前後には頻繁に起きるのですよね。

     

     

     

    10代の頃から、この奇妙な "見えない体の出し入れ遊び" を、暗闇の中の半覚醒状態でやっていても、ずっと「脳内現象は本当にリアルだなあ〜」としか思っていなかったのですが、でも、昼間に目を覚ました状態で同じ現象を肉眼で見て確認した時、今までの解釈はバカげていたと気づきました。

     

     

     

    これは霊体というより、たぶんエーテル体なのですが(でも、あえて霊体とも呼びたい)、足を切断された直後の人が、まだ足があるような感覚があり痛みを訴える・・・というあの有名な話は、エーテル体の感覚は本物の肉体感覚と変わらないので、そう感じるのです。

     

     

     

    体からエーテル体の腕がスポンと抜ける→エーテル体の指を細かく動かしても肉眼では全く見えない。

    一方、腕のエーテル体を取り出した状態では肉体の腕や手は全く動かすことができなくなる。

     

     

     

    こういう一連の動作は、物理現象と変わらないくらいハッキリしているもので、この現象を脳内現象と定義してしまうと、私にとっては体の手足が動くことも脳内現象になってしまうのです。すごーく変な言い方だけど、不可視の体の中でもエーテル体は目には見えないだけで、とても「物質的」なんです。

     

     

     

    っていうか、そもそも体を動かしている「主体」はこういう霊体のほうなので、この不可視の体が肉体に納まっていなければ、肉体を動かすことはできません。肉体というのは、本当に着ぐるみと一緒なんですね。いや、ホント。

     

     

     

    「なーんだ、そーか。これは脳内現象じゃないわ!」と思ったら、その後は体外離脱をするのも楽しくなったのでした。

     

     

     

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    でも、かといって、エーテル体のまま、ごっそりと体から抜けてしまうと、高確率でエーテル領域に行ってしまうので、その体験はやっぱり脳内現象としか思えないレベルのものになってしまいます。エーテル領域の中でも物質次元に近いところは、現実世界のコピー世界のように似てはいるけども支離滅裂なところで、世界としてまるっきり安定していないから。

     

     

     

    だから、エーテル界に行き、現実と符合するかどうかを実験した人たちの殆どは「体外離脱は脳内現象だ」と思うようになるのではないでしょうか。私も体外離脱をするたびに、このエーテル界をうろついていただけだったので、だからこそ、体外離脱は脳内現象だという強固な信念ができました。

     

     

     

    これは体外離脱では現実世界には行けないという意味じゃないですよ、あくまで傾向としての話。ゲリー・ボーネルは幼少期から、指定された物品を体脱によって的中させることができるのかどうか、医者と実験していたらしいし。

     

     

     

    ちなみに、私の友人Aの親友は体外離脱の達人で、それまで一度も来たことがなかったAの部屋のインテリアを細かく言った上に、前日にAがマスターベーションに使っていた漫画とそのページまで言い当てたそうです。ってか、こんな親友、嫌だわ(−_−)

     

     

     

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    なんにせよ、死者たちの安定した生活が営まれている死後世界の領域に行くためには、より高次の体であるアストラル体を使って探索する必要があります。(それ一体どーやるんだ?という、体脱のテクニック的な話はまた別の機会にでも)

     

     

     

    そして、非物質世界体験はここからが難しいというか危険なところで、向こうの世界とアクセスするようになってからが、より一層、自分の体験を色んな可能性から疑わなければならないんですよねえ。遊びたいだけだったら別にどーでもいいのですが。

     

     


    チャネリングでも体外離脱でも、自分と接触する存在の言うことをホイホイと信じてはいけない。どれだけ彼らがキラキラ輝いて波動が高く感じられて、教えてもらった素晴らしい話に感動したとしてもね。

     

     

     

    そう思っているので、私は、ここ2・3年、向こうの世界で得た情報について真剣に悩んでいました。いや、それは別にネガティブなものじゃないのだけど、私自身が向こうの世界を見極められるだけの能力もないので、いまだにハッキリとしたことはわからないのです。ただ自分の中で、死後世界のシステムの仮説があるだけで。

     

     

     

    だから、「誰か、私の考えと同じようなこと言っている人いないもんかなぁ・・」と思いつつ、色んな本を引っ張りだしては読んでいます。

     

     

     

     

     

     

     


    非物質世界への耽溺

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      私は、これまでずっと「ただの脳内現象に過ぎない」と思ってきた体外離脱が、異次元世界の体験なのだと確信できるようになってからというもの、ここ数年の間は異次元世界中毒とでもいうような変な状態になっていました。(´・ω・`)

       


      いやあ・・・面白くって。向こうの世界の存在たちに何かを教えてもらったり、一緒に遊んだりすることは。

       


      疑いのブロックが外れて調子に乗ってしまったのか夢中になっていたら、いつの間にか現実生活の中で非物質世界との関わりが自分の思考の大半を占めるようになり、向こうの世界での出来事に一喜一憂、大喜びしたり、落ち込んだり、イライラしたり・・・といったバカげた状態になっていました。

       

       

       

      学んだことの数々は有益で役立ったのだけど、耽溺の度が過ぎたというか。エネルギー浪費の悪影響に気づいて今は現実生活だけに集中してるんですけどね。

       

       

       

      一時期、そんな自分の体験した出来事をいろいろブログに書こうかとも思ったのですが・・・やめました。(・ω・)今の私には、無限広大な非物質世界の全貌を見極める能力なんて無いし、結局は自分の主観における体験でしかないので、そんなものを書いたところで、たいした価値はないと思って。

       

       

       

      それより、もう一度初心に戻って、知覚能力の高い友人と共同探索をして、現実とリンクするかどうかを地味に検証したほうが有益かもしれない。ただこれ、自分と周波数が似たような人でないと、どういうわけか難しいんだよなあ・・。

       

       

       

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      以前の私は、非物質世界の全貌を見極める能力というものがあるとすれば、それははどちらかというと、サイキックな「能力」の範疇のものだと思っていました。でも今はね〜、それはちょっと違うと思っているんです。

       

       

       

      私が出会ってきた、能力で非物質世界を探索している人たちの中には、明らかにおかしな世界や存在にコントロールされていた人たちが何人もいたのですよね。本人からするとその世界は「地球の霊界」とか「天上界」だという認識なんだけど、私から見ると、彼らはアストラル界のパラレルな自分宇宙に囚われているだけにしか思えないの。

       

       

       

      おまけにどういうわけか、そういう人たちの共通点としては、本人の現実の人生はまるっきり、ちゃんとしていないんだな・・。これ、あくまで私の経験なのですが、非物質世界の体験というものは常に自分の意識レベルと連動しあっていたのですよね。だから、心の成長が伴わないうちはより広い視野での見極めは難しいのかもしれない・・・と思うようになりました。

       

       

       

      なんというか、知覚能力はあるけど願望実現などに夢中で霊性は重要視しない人たちが、簡単にアストラル界のトラップに引っかかっているんじゃないか?と思えて仕方がないのです。いや、私自身も霊性や人間性という面ではゴミレベルですが、人としての理想だけはやたらあるので(実行の伴わない口だけ番長の特徴で)、だからこそ思います。

       

       

       

      アストラル界を探求していくと、あそこは私が想像していた以上に複雑で見極めの難しい領域でした。ヘミシンクのフォーカス○○なんて自分基準は意味ないんじゃ??と思うほどに。例えば、アストラル領域という鳥かごの中で、「ここはフォーカス100だ!天上界だ!私は自由な存在なんだ〜!」って、ぐ〜るぐるとやっていてもおかしくないくらい、個人の信念に応じたパラレル世界が広がっているようなのです。

       

       

       

      あ、あくまで例え話ですけどね、まあ、そのくらい判断が難しいってことで。たぶん、死ねば誰もが自分だけのパラレル世界に移行する状態になるのかもしれないけど、上のほうのアストラル領域は、物質次元に近い楽しさが残っている分、中毒性のある天国、極楽かもしれません。

       

       

       

      もちろん、ヘミシンクで、ちゃんと実際の?と言ったら変だけど、高い領域の世界に行っている人たちも沢山いると思います。でも一部の人は、アストラル領域のパラレル世界を何か凄い高次元世界や、地球における最終霊界かのように勘違してしまうこともあるんじゃないですかね。

       

       

       

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      それで、私自身もわけがわからなくなった時期がありました。「ガイドに聞けばいいじゃん」って思うでしょう?でも、そもそも、そのガイドと思わしき回答者だって疑ってかからないと。非物質世界の案内人や教え好きの存在はいわゆる「自分の守護霊」とは限らないしね。実際、初期の頃に私が向こうの世界で会ったガイドのような振る舞いをしていた人たちは、その回答を鵜呑みにしてもいいような存在ではなかったんですよ。

       

       

       

      最初は、彼らの(8人くらいいた)地上では見たことがないような外見の美しさに、とにかく圧倒されました。話をしてみれば心理カウンセラーのように優しいので心地いいし、有害ではないのですが・・・簡単に言うと、私を成長させてくれるような有益な存在ではなかったので信頼に値しないのです。時々、この手の外見のいい異性ガイドと戯れている人がいるけど、ああいう類なのかなあ。体外離脱直後に「ガイドに会う!」とアファメーションしてから出てきたのが彼らだったのに。

       

       

       

      ちなみに、私の知りあいの女性には、ガイドが超美形の大天使ミカエルなの、という人がいて、その人は一年中「またミカエルと喧嘩した・・」とか言ってはイチャイチャと戯れているのですが、おんなじような中身カラッポガイドの匂いがプンプンして仕方がないです(笑)

       

       

       

      それはともかく、ある時期、この「ガイド」という定義が広範囲な言葉はどんなもんだろう?と思い、「守護霊」と言って呼び出すようにしてみたのですが、そしたら、どうも本物としか思えないような守護霊が出てきました。

       

       

       

      高羽そらさんが、本の中で「初めて自分のガイドに会った時のことを思い出すと涙が出てしまう」というようなことを書いていたのですが、これ、私もそうなのです。初めて自分の守護霊と会えた時のことをふと思い出すと、なんか感極まって泣けてくるんですよ。

       

       

       

      向こうの世界でその守護霊を見た瞬間、「あ・・こいつ、私の守護霊だ(涙)」となぜかわかって、その時の安心感を思い出すからなのかなんなのかはわからないんですけどね。

       

       

       

      結局、自分の守護霊だと確信できた存在は二人しかいないのですが、彼らはいつも「自分でよく考えろスタンス」でね、時々、華麗に登場しては何か重要なメッセージを言い放って去っていくタイプなのです。体脱中はいつも私の後ろにくっ付いているのだけど、透明人間状態で姿を隠しているし。他のヘミシンクの人たちみたいに、一年中、コミュニケーションとれるわけではないんですよねぇ。

       

       

       

      でもまあ、だからこそ、この守護霊たちだけは信頼しているともいえます。彼らは、私が誰かを助けたり、酷いことをした相手を明るく許したり、私の心の成長と人生の課題の達成に対して、特別の関心を持っているようだから。

       

       

       

      自分でも成長したなあ・・と思えた時期に守護霊のうちの一人と会ったら、彼の輝きがキラキラと増していたんですよ。この守護霊は、生前は私と同じような人生の課題を持っていた人物なので、どうやら私たちは共に成長していく関係みたいです。

       

       

       

      この守護霊たちは、疑問に思うことを何でもペラペラと答えてくれるわけじゃないから正直、面白くはないです。ただ逆にペラペラと、本来自分で考えて答えを出すべきことを教えてくれるような存在は、無自覚のままコントロールされていたり、耽溺、依存して道を誤る可能性もあるので、ちょっと疑ったほうがいいかもしれません。

       

       

       

      まあ、この話をしだすと本当にキリがないのですが〜、そんなモロモロの経緯があって、暫くは体外離脱よりも現実生活で自分を成長させることに集中しているというわけなのでした。(・−・)

       

       

       

       

       

       

       

       

       


      レイモンド・ムーディーの『臨死共有体験』

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        *以下の記事、自分では3・4年くらい前に書いたとばっかり思い込んでいたのですが、UPされてませんでした。( ´・ω・)・・・そんなわけで、今更感がありますが掲載。

         

         

         

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        皆さん、臨死共有体験って、ご存知ですか? 

         

         

         

         

        りんしきょーゆーたいけん!(-@∀@)

         



        あまり一般的でない言葉なので、大きく言ってみました。読んで字のごとく、他人の臨死共有する体験なのだそうです。共有といっても一緒にポックリ死んでしまうわけじゃありません。例えば、家族の死を看取った人などが、死に逝くその本人と一緒にあの世の入り口まで逝って、自分だけ戻ってくるというような体験です。

         

         

         

        この話、臨死体験研究の先駆的存在、レイモンド・ムーディー博士が出した本で知りました。ヒカルランドから出版された表紙にはこんな説明文が書かれています。
         

         


        「死にゆく者とそこに寄り添う者が臨死体験を共に分かち合うー死後生命の存在をより確実にする驚異の事例報告/世界的ベストセラー『かいまみた死後の世界』のその先」



        亡くなった人間の傍に立ち会った自分までもが一緒に臨死体験をしてしまったという証言を、多くの人々から聞いていたムーディ博士は、「これこそが、臨死体験が脳内現象ではないことを示しているのだ!」と息巻いたわけですよ。

         

         


        この体験の中で特に面白いのは、臨死体験で起きる人生回顧を、なぜか看取った人間までもが共に分かち合って、死を迎えた本人しか知らないはずの事実を知ってしまうという事例があるところ。旦那の昔の彼女たちを見てしまった〜・・みたいな。私が看取られる側だったら絶対イヤですが、まあだからこそ名づけられた「臨死共有体験」というわけです。

         

         

         

        (これ、死に逝く主役の本人はそのままご臨終してしまうので、実際には「死の共有体験」なんですよ。原文は、shared death experiences なので、この言葉はどうなんだろうと思ったのですが、やっぱり世に送り出す言葉として「臨死共有体験」が妥当なのかなあ)

         

         

         

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        で・・・思うにこの体験って、その根拠となるものが証言・体験談しかないので、結局は、「幽霊見ました」とか「神秘体験しました」とかのオカルト話とそう大差ない扱いを受けると思うんですよね。結局、こんなのは体験者の話を信じるか信じないかの問題なので。

         

         

        ただ、臨死共有体験は、死者の看護に携わった者が体験するなどの医療現場からの報告があったために、ムーディ博士の知るところとなったわけで、こんな奇妙な体験の存在が世の中には知られていない段階でありながら、あちこちからムーディ博士に同様の体験を語る人が集まったというのは、皆が偶発的に自作のホラ話を語ったとはどうにも考えにくい。

         

         

         

        証言の存在じたいが捏造という可能性もありますが、ムーディ博士以外の研究者も臨死共有体験の証言を収集しているそうなのです。ココ大事。

         

         

         

        っていうか、もはや今ではムーディ博士自身が、臨死体験と臨死共有体験の体験者になっちゃったらしい。きっとあれですよ、心臓の専門医が心臓を患う法則みたいなやつが発動したんじゃないかと。ムーディさん。長年の臨死体験研究で死への恐怖心がすっかり消えてしまい、自殺未遂しちゃっただけのことはある。

         

         

         

        というわけで、臨死共有体験がどのようなものなのか、わかりやすいケースを抜粋してみます。

         

         

         

         

         

        -----------------『永遠の別世界をかいま見る、臨死共有体験』より

         

         

         

         

        私は医科大学での学びを終えたのち、世界各地の医師会などで、臨死共有体験の話をするようになった。

        すると医学の最前線で活躍している人々から、同様の話をしばしば聞くことができた。

        そうやって私は次第に、こうした経験は、思っていた以上に方々で頻繁に起きていることなのだ、と感じるようになった。

         

        臨死共有体験は、通常の臨死体験と共通の要素を持っている。

        しかしそれは、私がそれまで聞いたことのないような多くの特徴を含んでいた。

         

        たとえば臨死共有体験をした者は、「部屋の形が変わったんです」、

        あるいは「神秘的な光が部屋に満ちました」ということを言う。

        どちらも通常の臨死体験では聞かなかった話だ。

        しかし、臨死共有体験によく現れるそれらの要素の中でも、とくに驚かされたのが、

        「愛する者と共に人生を回顧する場があった」という証言だった。

         

        ある女性に、すでに成人した息子がいた。

        彼女の名をスーザンと呼ぶことにしよう(実名を公表しないとの約束なので、仮名になる)。

        その息子はガンのために亡くなった。

        その悲しいが目を見張るような話を、あるときスーザンは私に語ってくれた。

        「目を見張る」と述べたのは、彼女が息子の死に際に体験した事柄が尋常ではなかったからである。

         

        息子が死んだとき、スーザンは息子と共に「雲の中で泣いていた」。

        雲の中に一種の映像となって映し出された息子の人生の様々な場面を、彼女は共に見て、回顧したからだという。

         

        その人生回顧の幾つかの場面は、彼女の記憶にもあった。

        たとえば息子の幼少の頃や、10代のときのこと。

        しかし、彼女の記憶に全くないような場面も多々あった。

        「息子のプライベートな歳月」と呼べる期間のことなどである。

        その期間のいろいろな場面を、彼女が勝手に想像で作り上げられるものでもないだろう。

        彼女は「それらを見て少なくとも当惑はしなかったわ」と言った。

         

        この女性が、息子の人生の回顧を通して集めた情報は、きわめて具体的だった。

        というのは、体験後に彼女は、あの人生回顧で映し出された息子の友人を認識できたり、

        息子に関係ある場所を訪ねることさえできたからである。

         

        私は、彼女がこのように息子と死の体験を共有したということに、非常な衝撃を受けた。

        しかも、彼女はそれ以前には知らなかった情報を、その体験を通して知った。

        その情報はのちにチェックされて、正しいことが証明されている。

        彼女が回顧の映像の中に見た情報は、もともと彼女自身の記憶にはないものだった。

         

         

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        同様のケースをここに紹介しよう。これはダナが語ったものである。
        彼女は夫の生涯の回顧を、夫と共に分かち合った。
        その回顧は鮮やかなもので、彼女自身が以前は知らなかった心像や出来事を含んでいた。

         

        以下は彼女自身の言葉である。

        「私の夫ジョニーの55歳の誕生日に、夫は、肺がんを病んでおり余命6ヶ月と宣告されました。
        私は、野球のバットで頭をなぐられたかのようなショックを受けました。

        正直いうと、そのとき医者が何と言ったのか、はっきり思い出せないほどです。

        時間が経ってようやく医者が何を言ったのか理解しました。

         

        次の日、私は仕事をやめました。

        ジョニーと最期の時間を共に過ごす決心をしたからです。
        以来、二人が数時間と離れていることはありませんでした。

        私は病院ですべての時を彼のベッドの横で過ごしました。
        彼の死の瞬間も、彼を抱きしめていました。

         

        ジョニーが亡くなったとき、彼は私の体の中をすり抜けていきました。
        まるで電気にしびれたような感覚でした。
        電気ソケットに指を入れてビビッと来る、それよりもずっと優しいものですが。

        ともかく、それが起きたとき、私たちの生命が周囲に広がったのでしょうか。
        あたかも病室とその中のすべてを一瞬におおうような感じで、光が周囲に満ちたのです。

        明るく白い光でした。

        私にもジョニーにも、そこにキリストがおられることがわかりました。


        私たちが人生でしてきたこと、それはすべて光の中に映し出されました。
        その中でジョニーに関することも見ました。

        私との結婚前にジョニーがしたことも。


        そう言うと「あなたが見たくないものや、彼の私生活のものもあったのでは?」
        という質問を受けるかもしれません。はい、ありました。
        でも、特にいやな感じは持ちませんでした。

        ジョニーが結婚前の若い頃に一緒にいた女性たちの顔も見ました。
        のちに、私は彼の高校の卒業アルバムを見て、彼女たちの名前を確認しました。

        彼の死に際に見たあの人生回顧の記憶にしたがって確認できたのです。

         

        人生回顧の中には、私自身が、死んだばかりのジョニーの遺体を抱きしめている光景も現れました。

        悪い気持ちはしませんでした。

        なぜなら、私のとなりではジョニーが霊の姿で生き生きと、共に人生回顧の映像を見ていたからです。

         

        ところで、その人生回顧は何というか、巻きスカートにも似ていました。

        他に表現が思いつかないのですが、あたかも巻きスカートのように、ジョニーと私が共に、
        あるいは別々に経験してきた事柄が、折り重なるように映し出されるのです。

        言葉で言うのは難しいです。
        でも、すべてのことが夫の死の床のまさにその場で、瞬間映像のようになって次々に映し出されました。

         

        人生回顧の中で、私がまだ10代のときに流産して失った私たちの子どもも現れました。

        彼女は私たちを抱きしめてくれました。

        それは私たちが地上界で見るような人の姿ではなく、むしろ人に似た姿といいましょうか、
        かわいい幼児のような存在として、そこにいてくれたのです。

        それは、私たちがその子の流産を通して味わった苦悩のすべてが、もはや報われ、解決されたことを意味していました。

         

        私は聖書の御言葉を思い起こしました。

        「人のすべての考えにまさる神の平安」。

        まさにそれこそが、彼女を通して私たちに与えられたものでした。


        巻きスカートのように映し出される人生回顧の中でおかしかったことの一つは、
        私たちが中学一年生のときアトランタにあるジョージア州議会議事堂に行き、

        そこにあるジオラマを見学したときの光景でした。

        ジオラマは巻きスカートのように広がっています。

        それを見学する私たちを、巻きスカートのように映し出される人生回顧の中に見ていたわけで、
        私も私の横にいたジョニーも、思わず笑ってしまいました。

         

        人生回顧の中で、一つ奇妙だったことは、ときおりパネル、あるいは区分け版のようなものがあって、

        私たちにはその向こうが見えないようになっていたことです。

        それをどう表現したらいいのかわかりませんが、ともかく、私たち二人が向こう側を見ることはできませんでした。

        そこに何があったのかはわかりません。

        しかしすべてはキリストのお考えによるものと理解しています。

        いつの日にか、私たちもそのパネルの向こう側を見ることができるようになる、とキリストは仰いました。」

         

         

         

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        うーん、最後の体験の「そこにはキリストがおられました」みたいなやつ。

         

         

        こういうのって、キリストコスプレしたヘルパーの場合と、本物のキリスト的存在の場合と、もしかして色んなパターンがあるんじゃないか??とか思ったります。

         

         

        もしくは、その人には「キリスト」と知覚されるけども、別の人にはスサノオと知覚される・・・というような信念体系の問題なのか、よくわかりません。

         

         

        それにしても、この本、数ある臨死体験関連本の中では、久々に面白い本でした。

         

         

         

         

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        真我に目覚めれば願いが次々と叶う

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          「真我に目覚めれば願いが次々と叶う」ということを言っている原久子さんという人がいるんですね。

           

           

           

          私は原久子さんのことを、『心とからだのデトックス』で知ったのですが、この方はそこらの、ゆるふわっとしたスピリチュアル職業の女性とは一線を画すところが多くて、個人的に好きなのです。

           

           

           

          原さんは、長い間、アトピー性皮膚炎に苦しみ、腎臓は透析一歩手前の状態で、肝臓は常に鉛が入ったような鈍重肝、腸は下剤を飲まなければ動かず、視力は0・01の強度近視ときて、一年中、ぎっくり腰やら膝痛やら風邪といった体調不良に悩まされる虚弱体質だったそうです。

           

           

           

          そんな原さんも、ジョセフ・マーフィー博士の本に傾倒するようになってからは、心が現実を創造する仕組みを信じるようになり、毎日のように夢や希望をイメージしていたのですが、何年経ってもそれが一つも叶うことはなかった。この原さんの「イメージ」というのがかなり本格的で、朝一時間、夜一時間、ストレッチや呼吸法、瞑想、お祈りをしながら願いが叶ったときのビジョンを8年に渡って思い描いていたそうです。

           

           

           

          まあ、こういう人は沢山いて大概は、「思考は現実化するなんて嘘っぱちだ!」となるのですが、原さんはそうは思わなかった。そして、「私は自分の願いが叶うよう毎日瞑想をし、その願いが叶ったビジョンも描いているのになぜ一つも叶わず、いろいろなことが思うようにいかないのでしょう??」と、あの高橋信次氏に相談したそうです。

           

           

           

          その時の高橋氏の答えが、「あなたが何を願っても叶わないのは、心が曇っているからです。心の曇りが晴れればあなたの望みが全部叶う世界に入れます」というもの。

           

           

          ****

           

           

          この「心の曇り」というのはですね、勿論、心が汚いとかそういうことではなく、幼少期から今までに渡って潜在意識に蓄積され続けてきたマイナスの想いのこと。

           

           

          人は皆、自分の潜在意識の更に向こうに、真我・宇宙意識・内在神というような大いなるものがあって、それをつないでいる回路に、人生で積み重ねてきた不安、恐れ、怒り等のマイナスな想念が詰まっているから、結局、願いが叶わない〜という理屈です。

           

           

          そうそう、『借金200万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口ぐせ』(長いな)の小池浩さんの場合は、この自分の潜在意識のパイプに詰まったドロドロのネガティブ思念を「ありがとう」を何万回も唱え続けることでクリーニングして、宇宙とつながったという感覚を得たわけですが、原さんの場合は、この心の曇りを晴らすために、これまでの自分の人生を振り返る内観を行うことから始めました。

           

           

          結局、人が持つ願望実現において大きな壁となるのは、潜在意識と宇宙をつなぐパイプの詰まり問題なので、どんなアプローチだろうとパイプ掃除が出来ればいいのですが、一つ重要なキーワードがあって、それがやっぱり、どうして、どういうわけか、感謝なんです。

           

           

          原さんはその心の曇りを何とか晴らそうと、これまでの自分の人生を振り返って内観を重ねるのですが、そうこうしているうちに、ある日、突然、感謝の泉のようなものにぶつかり、その後に真我とつながる感覚を得ます。

           

           

           

           

           

          -----------------『真我に目覚めれば願いが次々と叶う』より

           

           


          私が感謝の泉にぶつかった瞬間は、突然訪れました。

          私は二十代後半の頃からピアノ演奏の仕事をしていたのですが、
          ちょうど三十代になった頃、何度か内観をした後のことです。

          ピアノの演奏の仕事をしていた二月の帰り道、寒い中、交差点の赤信号を待っていました。

          そのとき突然、感謝のエネルギーが内側から沸き起こってきたのです。

          そのとき、私はムートンのコートを着ていたのですが、
          ムートンのコートを着ている自分の姿に感謝の気持ちが湧いてきたのです。

           

          「こんな寒いときにこのコートを着られる状況って、なんてありがたいのだろう」
          と思って涙が出てきました。
          次に、羊に感謝しました。

          このコートを提供してくれたのは羊のおかげだと思い、
          羊に対して「本当にありがとうございます」と心の中でお礼を言っていました。

          今度はコートを作った人に対する感謝の気持ちが出てきます。

          すべての感謝が連鎖していきました。

           

          そして今度は毎日仕事をさせていただいて、お給料をくださる社長さんに対する感謝の気持ちが出てきました。

          さらに寒いのに帰る家があることにも感謝していました。

          青信号になったとき、「私には歩ける足がある。ありがたいな」と思ってまた感謝です。

          そして物を持てる手がある。目も見える。なんてありがたいんだろう、と次から次へと感謝の連鎖が始まって、
          涙が止まらない状態が半月ほどありました。

          私はこのようにして真我と出会うことができました。

           

           

           

          -----------------

           

           

           

           

          こうして原さんが真我とつながってからは、今まで治らなかったアトピー性皮膚炎が完治し、腎臓は正常におしっこが出るようになり、肝臓の不調や便秘は治り、なんと近視までもが眼鏡の要らない視力になったそうです。それから原さんは肝臓が原因で顔中シミだらけだったのが、シミが消えるイメージを描き続けていたら、この顔のシミも全て消えてしまったとのこと。(注:癒しの時系列は正確じゃないかも)

           

           

           

          うーん、心の力って凄い。本当に心の力は凄いけど、潜在意識のパイプ詰まりがあったら、どうにもならないということなのかな。(・ω・。)

           

           

           

          まあ、そんなわけで私も今まさに、自分の人生を振り返って、各チャクラごとに詰まった汚れのクリーニング作業中です。原さんが「集中して内観したら、憑いていた浮遊霊の類が取れて体が軽くなった」と言っていましたが、私もまさにそんな感じ。今後が楽しみでワクテカしてます。(*´ω`*)

           

           

           

           

           

          ーーーーーーチラシの裏ーーーーーー

           

          ところで原さんが相談した高橋信次氏なのですが、原久子さんが高橋氏に相談したとき、「あなたは中学校の時、こういう先生にこんな内容の手紙を書きましたね」などと、原さんしか知らないようなことを話したらしいのです。なんでも、原さんのアカシックレコードを読んだとか言って。私、高橋信次氏って、なんか新興宗教の教祖だった人ぐらいにしか思っていなかったのですが、小林正観さんも高橋信次氏に言われた未来が実現したという逸話があることを考えると、もしかして、この人は凄い人だったのかも。

           

           

           

           

           


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          感謝で極貧生活から抜け出したジョー・ヴィターレ

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              ジョー・ヴィターレ

                鉛筆に感謝してお金持ち

             

             

             

            『スピリチュアル・マーケティング』で有名なジョー・ヴィターレなんですけどもね。ええ、あの『ザ・シークレット』のビデオにドヤ顔で出演していたイタリア系のおじさん(顔と名前から推測)。この人の『思い出すだけで、人生に奇跡が起こる』というダニエル・バレットとの共著本の中に、貧乏時代のジョーさんのとてつもないエピソードが載っていました。

             

             

            それは、どれだけ状況が最悪に思えても、今、自分が持っているものに感謝することが人生の転機になったというお話です。

             

             

            このジョー・ヴィターレさん。その昔、ホームレスだった頃には空腹のあまり食べ物を万引きするような有様だった人です。その後も月給200ドル(約2万円)の赤貧生活をなんと15年間も続け、そこからどうしても抜け出すことができなかったそうな。そんな彼が、今じゃすっかりお金持ちですからね。

             

             

            「私に感謝できることなんか無い」という人は是非、次のお話を読んでみてください。

             

             

             

             

            ----------------------『思い出すだけで、人生に奇跡が起こる』より

             

             

             

            長い間、私は貧乏生活を送っていました。

            でも、図書館の本を読んだり、無料の講演会やイベントに出かけ、自分を鍛えてはいました。

            否定的な考えを頭から掃除して、悲惨な状況から逃れようと、最善を尽くしていたのです。

            そんな折、私は感謝について耳にしました。

            感謝の気持ちを抱いていると、内面の状態が変わり、続いて外面の生活も変わっていくと、教えてもらったのです。

            それが正しいことはすぐに理解できましたが、心ではこの考えを受け入れられず、抵抗する声も聞こえてきました。

            「感謝できることがないのに、どうやって感謝しろっていうんだ?」

             

            感謝するのをこのように頑固に拒んでいたのですから、私が貧乏からずっと抜け出せずにいたのも無理はありません。

            ある日、私はこの「やっても意味がないと思っていた感謝」を試してみる気になり、自分の小さな部屋を見渡してみました。

            あまりにも狭くて、小型テレビとタイプライターがトイレに置いてあるほどでした。

            私は鉛筆に目を留め、ふと手に取ってみました。

            この古い鉛筆の端には消しゴムが付いていました。

            こんなありふれたもので感謝を抱くことを始めたのです。

             

            「そうだ、この鉛筆で、買い物リスト、ラブレター、歌、遺書、素晴らしい小説も書くことができる」と、

            実際には何の感慨もなく、ぶつぶつとひとり言を言っていました。

            しかしこの木の鉛筆の積極的な利用法を考え、口に出しているうちに、内面に変化が現れてきたのです。

            鉛筆に畏敬の念さえ抱き始めました。私は鉛筆の端を眺めてみました。

            「すごい!消しゴムが付いてるぞ!」と私は叫びました。

            そのときには、心からそう思えるようになっていたのです。

             

            この鉛筆の発明者は天才だ、と肌で感じ始めました。

            それは基本的には単なる棒に過ぎませんが、人を驚かすようなことを書くことができるし、

            書いたことが気に入らなければ、消しゴムを使って消すことだってできます。

            なんという魔法でしょう!

            この鉛筆のエクサササイズを数分した後、私は今までとは違った気分になっていました。

            心は軽くなり、幸せな気持ちになり、顔には笑みさえ浮かんでいます。

             

            小さな部屋を見回して、そこにあるものにも感謝しました。

            これが私の人生の転機になったのです。

             

            今、私はときどき、熱いお風呂に入って、星を眺めながら、豊かで、素敵な生活を送ることのできる自分の人生に感謝しています。

            かつていた場所と今いる場所は、あまりにも劇的な違いがあり、まるで過去は前世のように感じています。

            この転機は、今すぐ感謝の気持ちを抱くことで始まったのです。

             

             

             

            ----------------------

             

             

             

             

            す・・スゲーよ!!ジョーさん!!(・∀・)鉛筆(消しゴムつき)にそこまで感謝できるなんて(笑)このド変態めが。 さすがはホームレスから億万長者にまで伸し上がっただけのことはある!!凡人には絶対真似できないその感性と発想には尊敬するばかりです!!

             

             

             

            いや〜これ読んだ時は驚きました。まったく私ときたら、断捨離とか言ってブランドバック捨ててる場合じゃなかった。擦り切れたシャネルのバックでも、ジョーさんであれば感謝のあまり絶頂に達してしまったことでしょう。

             

             

            試しに私も100均で買った三色ボールペンにそこまで感謝できるのかどうかをやってみたのですが・・うーん、決して幸せな気持ちにはなれなかったよ。断言してもいい。この三色ボールペンがあろうがなかろうが私の人生には何の影響もないです。まったく、ジョー・ヴィターレはおめでてーな!(・∀・)

             

             

            この実験で、達人ジョー・ヴィターレの域にまでいくには相当の修行が必要だということはよくわかりました。

             

             

             

            *****

             

             

             

            でも、これは言えます。私自身も、自分が持っている当たり前のことに感謝ができるようになってから、人生の暗黒期を脱出することができたので、人生を変えたいと心底思うならば、不満は一時封印して感謝を徹底的にしてみることが物事を好転させる最良の近道だと思います。内心は不満だらけなのに、イメージングだけしてても効果がないんだな。

             

             

             

            私の願いは金銭的なことではなかったのですが、とりあえず自分が持っている豊かさに感謝する生活を日常的にしていたら、昨年は、1800万円近くのお金が一括現金で入ってきました。

             

             

            いや、支出が多いから大歓喜とはいかなかったのですが、このうちの500万円くらいは予想外の幸運としか言えないお金だったので、この部分は引き寄せと言ってもいいかも。やっぱり、感謝は凄い力を持っているんだなあと実感できた出来事でした。(´∀` )

             

             

            今までの私は願いが叶う前から感謝などしたところで、もし何も得るものがなかったら損するだけと思っていたのですが、これは大間違いでした。感謝で失うものは何もない。それどころか、色んな幸運がやってくるとわかるまでに随分と時間を浪費してきました。15年前にこれに気づいていたらなぁ・・って心底、思います。

             

             

             

            さて、次回はそんな感謝を極めることで真我と繋がり、次々と願いが叶う世界に入った人のお話です。

             

             

             

             

            追記:

            ーーーーーーーー

            『スピリチュアル・マーケティング』を読んだことのある人ならば、
            ジョー・ヴィターレーの人生を変えたのは、ダグラス・ノーメントというヒーラなのではないか?と、思うかもしれません。
            確かにそうも思うのですが、いやいや、そんな凄い人物に出会えること自体、彼に準備が出来ていたんじゃないかと。

            ジョー・ヴィターレの話を聞けば「私も!」となってしまい
            私は世界的ヒーラーと云われる人の個人セッションを沢山受けてきましたが、
            全員が何の変化もなく、何の効果もなく、単なるお金の無駄使いに終わりました。
            結局、変化はまずは自分の力で起こさなきゃいけない。
            今では、その全てのお金をホームレスにあげてれば良かったと本気で思っています。

             

             

             

             

             

             

             

             


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            乙武さんに見る前世と今生の因果関係

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              最近、伊勢白山道さんの『内在神への道』を再読していたら、とても興味深い箇所を発見しました。

              リーマンさんが、乙武洋匡さんの前世について次のようにリーディングしていたんです。

               


              ------------『内在神への道』より

               


              乙武さんは、生まれつき両腕両脚が無いという障害を持って生まれました。
              彼の前世は、中国の清朝王朝に使えた宦官でした。皇帝に仕える官僚です。
              庶民から見ると、夢のようなエリートです。前世も頭脳明晰だったようです。
              最終的には、中堅クラスの宦官まで出世しました。
              当時の王朝では、政治犯などに対しては、上層からの命に従い、両手両足を切断するなどの残酷な刑が執行されたようです。
              彼は内心では心を痛めながら、職務として、刑の執行指示に多数関わったようです。

              彼は死後、この時に発生した因縁の消化と、新たな自己の成長のために、
              障害の個性を持つことを、自ら選択して生まれ出ました。
              母親とは、王宮で出会った縁があるようです。

              この世に生まれ出ることは、大変な奇跡に近い神の恩寵です。

              個の魂に刻まれた、作用・反作用の縁と、受け入れる家系側の縁が、一致して初めて誕生します。

              障害の個性を持って生まれた時点で、過去の因縁が消えたわけではありません。
              これから、始まるのです。
              因縁を消化できる立場に立ったのです。
              因縁を消化できるか、否かは、今生の生き方次第です。
              人は誕生した時点では、平等にスタートラインに立っています。

              プラスマイナスゼロです。
              健常者で生まれても、内在神を押し込めたまま、人生を終える人。
              障害の個性で生まれても、内在神を大きくして終わる人。
              障害の個性のために、人生を不平不満で終えて、尚更に悪因縁を増やして終わる人・・・・。
              生かして頂いてありがとうございます
              の心境で生きることができると、悪い因縁は大きく消化され、
              良い因縁が大きく育つでしょう。
              前世は、知らないほうが良いと書きましたが、乙武さんの場合は、今生を強く明るく生きて居られるので、
              前世を知っても問題がないと判断しました。
              明るく今を生きる彼が、もし、紫禁城に行けば、どのような印象を持つかは、興味があります。

               

               

               

              ------------

               

               

               

              私ね、基本的にこの手の「著名人の前世」みたいなリーディングは、信じる理由もないので、いつもは何とも思わないのです。自分自身の過去生を見ても半信半疑でしかないのに、ましてや他人様なんてね。

               

               

              でも、この乙武さんのリーディングには「なるほどぅ・・」とやけに感心してしまうものがありました。いや、10年前にこれを読んだ時は何とも思わなかったのですが、今年になって再読したら、この前世が実はかなり "いいトコ突いていた" ので驚いたのです。

               

               

               

              ******

               

               

               

              清王朝の宦官ということは、この過去生の人物は人生のある時点で、自分の男性器を切断しているはずなのですね。宦官たちは、庶民からすると夢のような贅沢な暮らしができるのと引き換えに、性生活は諦めているのです。まあ、宦官が宮女たちといかがわしい戯れをしていた・・なんて話もあるけどね、でも正常な性行為は出来ない。「ふ、ふん。別に羨ましかねーやい!」と言われてしまう人生です。

               

               

              そこで思い出すのは、乙武さんの例の不倫騒動ですよ。過去に愛人が5人いたっていう。私はあの騒動がマスコミを騒がせていた時、密かに「うーん、さすがは乙武さんだ。愛人が5人って、別の意味で障害を持つ人たちに希望を与えたな!(−_−)」と思ってしまいました。いや、不倫はいかんですよ、不倫は。

               

               

              まあ、奥さんにはお気の毒なのですが、世の中には乙武さんよりも遥かに軽度の障害であっても、「自分には恋人も結婚もできない」と諦めている人たちは沢山いるのですね。その人たちからしたら、「やっぱり積極的に恋愛してみよう」と励まされる人がいても不思議じゃありません。私が出会った中でも驚いたのは、「弟が知的障害者なので俺は結婚できない」と言い張っていた男性がいたこと。もうビックリですよ。

               

               

              それはまあともかく、このリーマンさんが語る人物を、乙武さんの過去生と仮定して妄想してみますとね、

               

               

               

              前世:四肢切断などの執行指示に関わりながら、一応は五体満足で暮らすものの、男性器を失い正常な性生活は満たされない人生

               

               

              今生:生まれながらに両腕両脚を持たず五体不満足に生きるものの、奥さん、愛人、子宝に恵まれ、男性器はフル稼働

               

               

               

              ・・・・という絶妙なバランスが成立してしまうのです。といっても、この男性器フル稼働は言いすぎかもしれない。というのも、乙武さんには男性が日常的にするような自慰行為が出来ると思えないから、他人による介助が必要になるはずです。そう考えると、このような男性を普通の性倫理で裁いていいものか私には疑問なのです。ええ、わかってます。不倫はいかんですよ、不倫は。

               

               

              それから宦官ということは、血反吐を吐くような難関試験である科挙試験に合格していた可能性もある。そういう過去生の努力があったと仮定すると、乙武さんが、両腕が無くエンピツや単語帳も持てないのに、早稲田の政治経済学部に入学できたのも納得してしまう。(乙武さん世代の早稲田政経って東大より偏差値が高いと言われていた頃じゃなかったっけ?)

               

               

              でもまあ、当時の中国では科挙を受けるような財力を持たない人は、自分から男性器を切断して宦官にまで登りつめるという立身出世のための禁断の裏技を使った人間がゴロゴロいたようなのですわ。内容忘れちゃったけど、浅田次郎の『蒼穹の昴』の主人公もそうだったような。

               

               

              ******

               

               

              んで、これは私の勝手な妄想なのですが・・・結局、乙武さんは政治家への道を不倫騒動で諦めたでしょう?そう考えると、

               

               

               

              前世:男性器を切断して性生活を諦めることで、政治官僚の役職を得る

               

              今生:過去の愛人(性生活)が原因で、政治家への道を断念する

               

               

               

              とまあ、これまた絶妙な因果関係(妄想)が成立してしまうのです。いや、でも今後、乙武さんが政治家になる可能性は充分にある気がします。というのも、リーマンさんのリーディングがまさにその通りだと仮定すると、乙武さんの魂は、前世で心を痛めながらも執行した刑罰の数々をポジティブな形で償うために、今生で政治家になって障害者のためになるような有益な政策を成功させたいと願うはずだから。そして、上からの命令に流されるのかそれとも戦うのかをまた再び試される、という訳でございますよ。

               

               

               

              乙武さんの女性問題というのは、彼の魂が過去生で満たされなかったことを今生で埋め合わせているだけなのかもしれません。人間というのは世間的にはどーしようもないと見える行動があったとしても、本人の魂の歴史を見ると深い深い理由があるのかもしれません。

               

              そして、彼の政治家になろうとする情熱は、魂からきたものなのかもしれません。

               

               

               

              ・・・まあ、完全に私の妄想ですけどね(´∀` )

               

               

               

              本当かどうかもわからない過去生話をネタに妄想を広げては乙武さんもいい迷惑なことでしょう。でも、このリーマンさんのリーディングがやけによくできてると私が感じてしまう理由を少しわかってもらえたでしょうか。

               

               

               

              伊勢白山道さんの『内在神への道』が出版されたのって、2008年なんですよ。その頃、乙武さんて、スポーツライターで政治家を目指しているなんて世間に知られていなかったような・・。ましてや、彼の不倫なんて想像もつかない頃だったから。

               

               

               

              とにかく、自分の持つ能力を最大限に使って、夢や目標を追いかけ人生を楽しもうとする乙武さんを私は心底、尊敬します。(−人−)でも不倫は(省略)。仮に私が乙武さんと同じ障害を持っていたら、きっと一生引きこもって周囲の人間に毒をまき散らかすだけ巻き散らかし、自分でお金を稼ごうともしないことでしょう。あー、私も頑張らなきゃ。五体満足でもこのザマだもんなあ。

               

               

               

              追記:

              ーーーーーーーー

              この記事を書いた後で、私は今、初めて『五体不満足』を読んでいるのですが(まだ読み途中)
              アラ、びっくり。乙武さんて、エンピツを持って字を書くことは出来るんですね〜本当に凄いわ。
              ろくに彼のことを知りもしないで書いていました。すいません。(・ω・;)

              ところで、乙武さんに関する週刊誌の記事で、乙武さんが奥さんに
              「政治家を目指す上で愛人の存在は欠かせなかった、それは譲れない」と言っていたという
              話があるのですが、これさ、普通の感覚だと「(゚Д゚)ハァ?」となっちゃうのですが、
              もしも仮に、乙武さんの前世が宦官だったとすると、彼は前世では
              「官僚になるためには、男性器の切断もいとわない」人だったわけですよ。
              この反作用にやけに納得してしまいました。あ、妄想です。妄想(笑)

               

               

               

               


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